映画「ふたりのベロニカ」
野良猫一座物語↑ついに第12章-黒猫のヤマト-彼の秘密が明らかに!そして一座の悲しき掟も判明! 今日は熱く語りますので、ご注意を!!ふたりのベロニカ ポーランドとフランスに同じ日同じ時刻に生まれた女の子、お互いに「ベロニカ」と名付けられる。 二人ともに「音楽の才能を持っている」という設定にしてあるので、やはり音楽がストーリーを奏でていくような作りである。(作曲は天才ズビフニェフ・プレイスネル) 「ベロニカ」2人を演じるのはイレーヌ・ジャコブ(キェシロフスキ監督の秘蔵っ子と言われていた)で、 彼女の表情の柔らかさも非常に重要であった。 「人間への愛情」を撮り続けたキェシロフスキ監督の、映像の「美しさ」「優しさ」「暖かさ」それに彼女の表情の「柔らかさ」が見事にマッチしている。 テーマは「愛」。 「自己愛」「男女の愛」「親子の愛」「見知らぬ人への愛」…「すべてのモノへの愛」。 ポーランドの「ベロニカ」が、念願の歌い手として舞台にあがったものの、心臓病によって亡くなってしまう。 その瞬間から、フランスの「ベロニカ」は霊感のような不思議な導きを感じ始める。 音楽を辞め、心臓の病院へと行き、運命の男性と出会う。 その運命の男性が人形師なのだが、その人形劇の美しさが、この映画の見所の一つだろう。 傷ついたバレリーナが蝶へとなって、天へと羽ばたく姿は、ベロニカそのものだ。 ベロニカからベロニカへの飛翔である。 その人形師がベロニカを喫茶店へと呼び出す凝った仕掛けの中にも、少しポーランドの「ベロニカ」からの導きが入っている。 その男性が「愛」を教えてくれる…と。 人形師が何気なく見る写真の中に「ベロニカ」が写っている。 それはフランスの「ベロニカ」がポーランドで撮影した写真、ポーランドのもう一人の「自分」。 初めてもう一人の自分の存在に気付き、涙を流すベロニカ。 ポーランドで亡くなった「自分」が、「自分」を導いてきてくれたんだ、と。 人形師が今度作成するのは物語は、ベロニカの体験したであろう「同じ日同じ時刻に生まれた人間」のストーリー。 全く同じ人形が二体あるのは、酷使するから壊れてしまうからだ…と。 今まで3~4度観て、よく理解できなかった部分が、少しだけ解った部分があった。 ラストシーンだ。 ベロニカが実家の木に優しく触れるシーン。 おそらく、ベロニカの父が仕事で切る「木材達」は、今あなたを生かしてくれている。 自分を偽性にする事によって。 そういう意味が込められているのではないだろうかと思う。 自分がもう一人いたらと考えるのでは無く、自分の行為や誰かの行為によって、人は何かしらの影響を受ける。 「だから常に優しさを持っていてください」という監督からのメッセージでは無いだろうか? 印象的なのは、亡くなったポーランドの「ベロニカ」視点がある事。 それは、いつもフランスの「ベロニカ」の上で見守ってるよ…という優しさ。 素晴らしい映画だとしか言いようがない。 自分は「説教臭い映画」や「愛の押し売り映画」ほど嫌いなものは無い。 この人の映画は、意味は解らなくても優しさが伝わってくる。 人への愛と優しさと暖かさが。 自分の大好きなドン・ドッケンの言葉「聴いて、感じて、そして俺達を愛してくれ…」 この言葉を使わせてもらうなら、「観て、感じて、そして愛せる映画」、それが理想の映画だ。 映画は深読みさせる難解さなど、必要無いのである。