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カテゴリ:考えたこと
先日 友だちの庭師OさんとY子さんに誘われ 居酒屋に食事に行ってきた。 彼らは自然の専門家なので、この地の山にも詳しい。 春は山菜、秋はきのこ狩りに出かけて 毎秋きのこ鍋の集まりに私を呼んでくれるのだった。 しかし、去年はさそわれなかったし、今年もまだお声がかからない。 今年は雨が多かったので、山のきのこは豊作らしいとうわさは聞いていた。 「きのこ鍋はやらないのか?」と聞いてみたら どれくらいの数値が出ているものやら。 というわけです。
4年目の秋なのだけど、未だに食品としては危ないレベルの放射能が山のきのこには含まれているということだ。 前は、秋になると産直は山採りのきのこ、珍しいきのこがいっぱい出てきていた。 私が生きているうちに また自然のきのこ食べられるのかなあ。 テレビや新聞、マスコミのニュースはね、 人の脳は 古いことには慣れて興味がなくなるし、新しいことに反応が大きいから どうしても新しい話題を追いかけ大きく取り上げることは当たり前なんだろうけれど。 でもねえ、フクシマの原発問題 全然終わってないのよ。 東北に撒き散らされた放射能、どれだけの土地が汚染されたのか、どれだけの部分が処理されたのか。 その問題をほおっておいて、武器3原則の法的解釈の変更だとか
それより、自分の足元を見て そこにある問題をきちんと片付けるほうが先なんじゃないかと思うけどねえ。 問題を先送りして、責任の所在もあやふやにして なあなあで時間が過ぎていつの間にか終わったことになっちゃう…ってのは 日本のお家芸みたいなもんだけど。 でもね、私最近 しみじみと思い知ったのです。 根源的な問題はね、なあなあにしてなかったことにしても 消えないの。 わかっている人も多いんじゃないかと思うけれど。
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最終更新日
2014年10月06日 17時19分05秒
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