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カテゴリ:考えたこと
ネットのお茶室で知り合って 友達になった水晶さんという人がいます。 彼女は私よりちょっと若く、しかし同時代を生きてきて、趣味も重なり話が合うので とても仲良くなりました。 東京在住なのですが、夏休みに岩手の私の家まで遊びに来て、他のネット友達も集まって、我が家で1週間の合宿OFFしたりもしていたのですよ。
その水晶さんですが、彼女のお父上は プロの芸術家です。 で、そういう家庭環境のせいなのか、遺伝子のせいなのか、(私が見るところ両方の要素が入っているんだろうと思うのですが) 少し長じて どうもほかの人にはそれが見えてないらしい―――と気が付いたらしいのですよね。
絵の本質を見る って何?って 疑問に思う人多いでしょう? 彼女にはピカソがどれほどの才能なのかが、実感できるのです。 で、ピカソじゃなくても、力のある絵を見ると そのエネルギーに対抗しなくちゃならないので、自分の体力も使い果たす・・・なんてことがあるらしいのです。 絵画酔いのできる人って 珍しいですよね~。 私はその話を聞いて びっくりしました。
私もね、芸術家じゃないけれど 一応絵を描いて生活していた時期があるのです。 バルセロナのピカソ美術館にも行ったし、マドリードの美術館にあったゲルニカも見ましたよ。 でもね、私は絵を観る回路が開いてなかったんだろうなあ。 ああ、でも、スペイン旅行でプラド美術館とかトレドの教会とかで見た いくつかの絵は、今でも強烈に印象に残っている。
とまれ。 人によって、見ている世界は全然違うのよ、ってことを言いたいわけです。 例えば 有名な絵画が展示された美術展に行くとするでしょ。 普通の人は その絵を観て、 ○これは○○時代の代表的な絵なんだな。なるほど、パンフにはこう出ている。 ○評論家のあの先生がこんなこと言っていたぞ。 ○この絵 ○○億なんだってねえ。すごいなあ。画家が生きてた時には売れなかったくせに。 とかね。
水晶さんは、そういった付属物を全部外したところで 絵そのものと対峙できているんだろうと推測するのです。 絵を体験している、というか。
対人間も同じなんだろうと思うのですよ。 普通私たちは 他の人と向き合っても、その人の中身と向き合うのじゃなく たぶん、人そのものは違っている。 人の中身そのものに 向き合っていける人間になりたい。
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最終更新日
2015年03月05日 19時59分13秒
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