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カテゴリ:考えたこと
昨日の続きなのだけれど、オウムが私たちに突きつけた問題というのは 自分の所在する世界に対する 依存・従属・思考停止 なのだと考えます。
オウムでは、小さい閉鎖された階級社会を作り、そこではあの教祖がすべてを律する神のような存在でした。 そこへ入信するのはたやすく、一度入信するとがんじがらめに捕えられ、普通の人は絶対脱出できないようなシステムになっていた。 こういった集団って 仲間が離脱することを 本当に嫌いますね。 多分、人の離脱が 自分たちへの拒否行動と見えるんだろうな。 そして、洗脳でもマインドコントロールでも 自分の思考・判断の能力を停止した信者たちにとっては、上位者からの指示は絶対となり 犯罪にも唯々諾々と従ってゆく。
でも、オウムは 今の社会の模倣社会・極端なカリカチュアなんじゃなかろうか、とも思うのですよ。
私たちも、日本のシステムに依存しているでしょ。 小さいころから 幼稚園では先生の言うことをよく聞く、ってことを教わり 小さいころから いかに集団に従属し 逆らわないでやってゆける人間となるか。 日本では、ずーっとそういう風に子供を育て教育してきたわけですよね。 学校でいい成績をとり、いい会社に入り、上手く社会の中を泳いで成功の階段を登ってゆく。 それが幸せの条件、人生の成功者…って風なのが 一般的な常識なんじゃないのかな?
それがね、バーチャルリアリティ、幻想なのだあ!と 私は結論しちゃったのです。
まあねえ。 私も 長いこと 社会の中にきっと屹立した 価値とか、真実とかがあって、勉強して知識を蓄え 努力を続ければきっとそういった場所にたどりつけるんだ・・・と なんとなく思っていたのでしょう。 でも、それも依存でした。 社会の中の上位者や絶対的な正義のようなものを 無意識に設定しちゃっていたんですよね。 そうして いろんなことがらに対して、判断停止していて 自分で見極めるってことがどういうことかさえ わかっていなかったのだと思います。
そういう私ですから、今から。なのですよね。 今もふと気が付くと、いろんなことに依存しっぱなし。 あきれるほどですよ。 まあ、でも それでいいと今の私は自分に言います。 まだまだ 先に進んでゆこうと思います。
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最終更新日
2015年03月17日 15時05分56秒
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