|
カテゴリ:能・狂言
今秋、野村萬斎さんが、秘曲「釣狐」を18年ぶりに演じられることになりました。 本日の「朝日新聞」夕刊にその記事が掲載されました。 「釣狐」は、とても体力のいる舞台なので、60歳をまじかに控えた萬斎さんの今回の体力作りは大変ではないかなと思います。 前回、演じられたのは40歳の時。 あの時も、大変な舞台で、観ていた私も、ものすごい緊張感と、ようやくこの舞台が観られたという思いで、泣きながら見ていたこと思い出します。 2006年11月26日のブログです。 狂言「釣狐」。これは、狂言の最高秘曲と言われる大曲で、狂言師は、生涯で数回演じるか演じないかという大変な演目です。 一族の狐がつぎつぎと猟師に捕らえらて根絶やしされ、今や我が身にも危機が迫っている古狐(野村萬斎)が、猟師が言うことを聞くという伯父の白蔵主という僧に化けて、猟師に狐を獲ることについて意見してやめさせようとします。 そして、「殺生石」の伝説などの狐の祟りの恐ろしい話などを聞かせて、猟を思いとどまらせます。 安心して帰る道すがら、先刻猟師に捨てさせた罠に餌の若鼠の油揚げがついているのを見つけます。 飛び掛って食いたい衝動に駆られますが、化身の扮装を脱ぎ、身軽になってから食おうと一旦その場を立ち去ります。 猟師は、いつもと違う伯父の様子に不審を抱き、罠を見にくると、餌がつついてあります。そこで、あれこそは狙う古狐であったかと気付き、罠をかけなおして待機します。 そこに、正体をあらわした古狐がやってきて、猟師と対決します。 白蔵主 狐のぬいぐるみの上に僧衣をまとい、面をかけ、体の構えと運びには化けおおせきれぬ獣の姿態と生態があり、発声発音、面の使い方、杖の扱い(常に床から3センチの位置に留めておかねばならない)、すべて特殊な技法が駆使されます。 そのため、通常の狂言にはない緊張感と凄愴感が漂い、演者はその分、技術的にも精神的にも苛酷なまでの集中力を強いられます。マラソンをしながら、フィギュアスケートの技をところどころに入れる様な舞台。 橋掛かりに登場した、萬斎さんはいつもと全く違う。 誰か別の人では?と思うような声と動き。 ですが、面の下に見えるアゴのラインは確かに萬斎さん。 人間に化けた狐は、押し殺したような口調で語りながら、突如、狐が垣間見える。 声がひるがえったり、飛び上がってみたり。そのつど、強いエネルギーを体に溜めているせいか、萬斎さんの激しい息遣いが、4列目の私の席まではっきり聞こえてきました。 その息遣いと動きがあまりに激しく、もしかして、途中で倒れるのはないかと思うほどでした。 後半は、完全に狐の着ぐるみに面。 四つんばいで出てきた姿には、どこにも萬斎さんの肌は見られません。 その格好で獣の動き、長く鋭い雄たけび。あれだけの声を出すのも、あの格好ではさぞきついのではないかと思います。 観ていいる側も同様の緊張感を強いられます。 私は、それに加え、感情移入をしすぎてしまったのか、最初に萬斎さんが橋掛かりに現れ、歩き始めた姿を見ていたら、涙が出てきてしまい、上演中、その涙がずっと止まりませんでした。 泣くような場面でも、泣くようなストーリーでもないのですが。 多分、萬斎さんのこの難曲に挑む思いに、感動してしまったのではないかと思います。 涙なんかを流していたのは私だけだったろうな。 と言うことで、観終わった後は、とても疲れてしまいました。 しかし、狂言師野村萬斎の真髄を観た思いがいたします。 今回も、なんとかチケットが取れましたので、18年ぶりの「釣狐」、楽しみにしています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年09月27日 02時06分51秒
コメント(0) | コメントを書く
[能・狂言] カテゴリの最新記事
|