カテゴリ:小説「ジパング」
はじめに
テレビの画面には、太平洋戦争時に米国駆逐艦に特攻を仕掛け、その若い命を散らした27歳の青年の姿が映し出されていた。 没後、青年は二階級特進したと言う。青年は階級のために、その命を懸けたわけではないだろう。御国のため、天皇陛下のため、であったはずである。 平成の世を生きる我々の眼には、それは異常に映るかもしれない。理解でき得るものでも無いかもしれない。 だが「今からたかだか60年前」、それらは常識であったのだ。 2001年9月11日、米国の経済発展のシンボルと言うべきビルが世界中の人々の目にもはっきりとわかる形で崩れ去った。 この事件が米国民ひいては世界中の人々に与えた衝撃、恐怖、そして悲しみは大きく、そして深い。 前大戦後、確かに大国間の戦争は無くなったと言えよう。しかしこの事件のように依然として宗教や民族問題に端を発する紛争は絶えず、それどころか、さらに憎しみの根を深くし、問題は複雑かつ凶悪化しているようにも見える。 ここで一度考えてみたい。日本国憲法の「恒久的平和」とは自国が平和であればそれで良い、というものなのか。戦争について考える事を放棄すれば平和なのか。戦争を知らない世代が増えてゆく。 戦争が日本人の記憶から失われていく。こんな素晴らしい事は無いのだが、このままの日本が「有事」を迎えるのは恐ろしくは無いだろうか。 当時の人々はすべからく身をもって普段の生活から戦争を学んでいた。今の我々は、戦争に思考を費やすとやれ右だの、やれ軍国主義だのと危険視される。 「そのギャップってなんだろうと言う問いから、この物語を始めたい」。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.07.13 01:17:34
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