カテゴリ:小説「ジパング」
三、落雷
出港から四日目の未明。 「みらい」上空は不気味な雲に覆われていた。遥か彼方の天まで覆い尽くすが如く広がる積乱雲。 まるで黙示録の光景だな。定位置を離れ、外の景色を見ていた菊地は眼前の光景をそう評した。黙示録か。だとすれば、この光景を目にしている我々には祝福が約束されるというのだろうか。 国民の許容する自衛力を優に超える武力を有する、「みらい」というこの忌まわしき戦艦を祝福するものがあるというのか。 神よ、あなたはヨハネの黙示録において、歴史を直線的に解しある一点に終末を置く事により人の生を世界を意味付ける終末論を人類に与えたもうた。我々の航海にも同じように一点の結末と意味を与えてくださいますか?それとも眼前のこの雲のように明瞭な終末のない航路を突き進めとおっしゃるのですか? 菊地の脳裏を黙示録の一説がよぎる。 聖なる方、真実な方、 ダビデの鍵を持つ方、 この方が開けると、だれも閉じることなく、 閉じると、だれも開けることがない。 (ヨハネの黙示録 第三章 第七節) そう、扉は開かれ、我々の前には先へ進む航路しか伸びてはいないのだ。懐郷の地へと続く安楽の道は閉ざされている。眼前に在るはさしずめ全てを喰らい尽くさんとする怪物の口か。あるいは我々を地の底に引きずり込む深遠な暗闇か。 たとえ向かうは深き闇だとしても、振り返らずに進ましてはくれまいか。闇を闇のままにしておいてはそこに何があったのかすらも認識することもなきままに、暗澹たる思いが残るだけであろう。願わくば、この雲より吐き出されし「意思」が我々にとって暗中の灯火たらんことを。「みらい」の行き先を照らしだす希望の灯火たらんことを。 しかし、菊地のこの密かな願いは後に彼らを待ち受ける、試練と言うにもあまりに熾烈かつ驚愕な事態となって、彼自信を裏切る事となる。 菊池が外の景色に漠然とした不安にとられていたのと時を同じくして、情報センターに届いた気象情報を持って角松は艦橋に向かっていた。これは一仕事になるかもしれんな。 「艦長。気象士からの報告です。ミッドウェー島西北に低気圧あり。気圧965へクトパスカル。風速40。なお勢いを増しているとのことです」 意外な報告に梅津はいぶかしがる。 月例予報には無かった天候の変化だ。何か妙な感覚を覚えた。しかし元来、海の天候など正確に予測し得るのは海に出てからであり、出港前からの月例予報などというものは、えてして外れるものである。 三十年以上も海に出ている梅津はその事を文字どおり身にしみるまで味わい、知り尽くしていた。このような事にいちいち動揺していては自衛艦の艦長など勤まるはずも無い。とはいえこの調子では嵐はかなりの規模のようだな、荒れるかもしれん。備えるに越した事はない、か。 「非直の者も総員艦内配置に。時化に備える。僚艦との距離4キロに設定。連絡を密にせよ」 「はっ」 艦内にサイレンが鳴り響く。途端に慌ただしく乗組員らが走り回り始めた。小栗もその流れにまみれ、右舷へ出て各員に指示を飛ばす。 「柳以下三名は格納庫に回れ。波が高い、残りの者で各部固定を行うぞ」 雨で声が流されそうになる所だが小栗の声は良く通り隊員たちに届いていた。 「こりゃ演習じゃねーぞ。本物だ」 と、若い隊員を気遣いながらも小栗自身、この嵐に戸惑いを感じていた。なんて不気味な雲が広がってやがる。入ってしまったが最期、二度と出てくる事が出来なくなるんじゃないか。 言い知れぬ不安が小栗を緩やかに包み始める。降りしきる雨はその勢いを増すばかりで乗組員らに安息の時を与えようとはしないばかりか、精神的にも彼らを徐々に追い詰めようとしていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.07.29 19:25:49
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