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カテゴリ:昭和(小中高大)の思い出
私の住む名越という所は、その昔戦国時代の1580年代に、織田信長、豊臣秀吉が「紀州征伐」で根来、雑賀勢と戦った正に「戦場」でした。
丁度名越の町内は、根来勢の出城である「千石堀城」(旧千石荘病院正門右手の山頂に城跡あり)と「高井城」(水間鉄道名越駅西に城跡あり)に挟まれています。 歴史書によれば、豊臣勢に先ず高井城が落され、千石堀城まで根来勢が追い込まれたのですが、その時に千石堀城手前の近木川を挟んでの合戦が最も激しかったようで、根来8000人、豊臣6000人も参戦したそうです。 確かに今はその近木川には「千石橋」という橋が掛かっており、その深さは近木川の中で最も深いであろう高さです。 昔の合戦は、「川床」が最も深いところでやった(川床が浅いと、直ぐに両軍が交わってしまい、勝負が直ぐについてしまう)という事から考えると、高井城と千石堀城の立地はまさに「正解」で、よく考えられたと思います。 千石堀城は、近木川を「城のお堀」と考え、正にグッドアイデアですねェ 名越の町内は西に近木川、東にため池が沢山あり、豪雨になっても、町内中を縦横無尽に走る「小さい溝」が、ため池が決壊しても近木川にまで上手く、洪水にならないように「町内を水害から守り」雨水を流してくれます。 この溝の傾き(角度)も、ため池から近木川までの間を、けっして町内に雨水を留めないように、1度とか「角度」を計算して付けられているらしいのです 確かにそのお陰で、これまで少なくともここ100年に水害があったというのは、聞いた事がありません。 今の町内の溝の様子から推測すると、出来てから少なくとも300年は経っているように思います。 今でも町内の一大行事として、年に1回「溝そうじ」を町民、消防団、水利組合と共に行ない、水害防止の努力を続けています 貝塚市の不動産情報サイト「貝塚不動産.com」 ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.09.22 16:32:57
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