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カテゴリ:昭和(小中高大)の思い出
先日物件調査で、貝塚市内をウロウロしていると、三ツ松にある「貝塚市立木島保育所」の前を通り、懐かしさに思わず中を覗いてみました・・・
この保育所を私は50年前に卒園したのです・・・ 「まだ、あったのか?」という驚きと、「半世紀」前というのを考えると、ちょっと感慨深いものがあります・・・ 周りも保育所もすっかり変わり、全く面影はありませんが、私の脳裏には当時の状況がハッキリ思い出され、懐かしさに思わず涙が出そうです・・・ 当時は未だ府営森団地がなく、近道として近所の同級生らと、肥溜めを避けながら田んぼの畦道を、何やかやと喋りながら、また歌を歌いながら時間を気にせずユックリ歩いて通ったものです・・・ 確かテレビ「海底人8823」を見てから保育所に向かったので、必ず遅刻していましたが、みんな平気でしたし、先生もおおらかで何も言いませんでした・・・ たまに始業に間に合って、ブランコで遊んでいると、先生から「今日はササヤン早いなァ、どないしたん?」と軽いイヤミを言われたものです・・・(笑) 保育所の横に、大きな森や戦争でお父さんを失くした「母子寮」があり、そこで始業開始時間に関係なく、一生懸命遊んでいて怒られたのも懐かしいですねェ・・・ 今でも私の鈍感な「味覚」にも、あの給食のオバちゃんの「ポテトサラダ」の絶品の味が忘れられません・・・まだ戦後15年で、美味しいモノがあまりなかった・・・ 昼寝の時間に、寝る子は「パン」を貰えたので、よく「ウソ寝」演技しましたねェ・・・ 折り紙の時間に、途中で解らなくなり「ワーッ」と大声で泣くと、川尻先生が飛んできてマンツーマンで教えてくれた優しさには「愛」を感じました・・・ 先生のスカートの中に隠れたり、トイレに行く「暗くて狭い通路」の上に、壁を両手で突っ張って上ったり、帰りに水間鉄道に「タダ乗り」したり、レールに石を置いたり、遮断機に上って鳴らしてみたり、・・・てなバカな事もしましたねェ・・・ 当時はけっこうみんな、罪悪感もなしにやってましたねェ・・・今なら、完全アウトですねェ・・・「自由奔放」な古き良き時代ですねェ・・・ 昔は幼稚園も保育所も「同列」で、1年だけ通って木島小学校に上がったものでした。 あの頃はだいたい、清児の子は清児幼稚園、名越、森、三ッ松、水間の子は木島保育所に通っていて、木島幼稚園は少数派でしたねェ・・・ 私の場合、家の前の「一つ年上の子」とよく遊んでいたものですから、その子が1年早く保育所に行って寂しかったので、夏ごろに親父に「僕も保育所に行きたいんや!」と無理を言って、同級生より半年長く通っていたのです・・・ ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚 ※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.06.15 12:05:03
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