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カテゴリ:昭和(小中高大)の思い出
今「田植え」のシーズンの真っ最中です・・・
まだ町内では専業農家や兼業農家も多く、田植えに皆さん大忙しです・・・ まだまだ大阪近郊でも、米を作っているお百姓さんが多いという事でしょうねェ・・・ 子供の頃は集落の周りは田んぼだらけで、7,8割は何らかの形で農業をしていたのではないでしょうか・・・ その為、親から「肥溜め」に落ちないように、いつも口を酸っぱく注意されていました・・・ それでもたまに誰かが落ちていて、その子の家に行くと、玄関の前からもうすでに「イヤな臭い」がしていましたねェ・・・ 私は一度も落ちませんでしたが、家のトイレに何回か落ちかけたことがありました・・・ 泉州はかつては「タマネギ王国」と言われるほど、タマネギの産地でしたが、出来過ぎて道に捨てているほどで、小学校に行くときにタマネギを踏みながらいった記憶があります・・・ うちはもともと織物製造業を始めるずっと以前は、曽祖父が獣医(耕運機のなかった昔は、村に1軒、耕作牛の面倒を見る家があった)で、農家ではありませんでしたので、夏休みになると家業の織物工場の手伝いもしながら近所の農家へも「小芋のヒゲみしり(イモのヒゲ取り)」のアルバイトによく行きました・・・ 農家の納屋で、年寄も近所の子供もみんなで輪になって、ワイワイ喋りながら、イモのヒゲを取るのです・・・1日かかって、ミカン箱1杯で10円の報酬でした(当時1日の小遣いが10円、アメ1個1円、せんべい1枚5円、駄菓子の雀の卵1個50銭、パン15円、グリコのキャラメル10円の時代)・・・ 10円儲けるのに、「どれだけシンドイか!」早くから身に染みましたねェ・・・ みんな1日中喋り通しでしたから、まァとにかくよその大人から、世間話で戦争の話や近所の噂話や、下ネタやらイロンナ話を聞かされましたねェ・・・ 休憩時に頂いた、井戸水で冷やした美味しいスイカの味が忘れられません・・・もちろんクーラーのない時代ですので、汗を吹きだしながらやっていましたので、労働後の味も格別だったのは言うまでもありません・・・ 子供の頃から大人の人と、聞いたり喋ったりする会話も大事な「社会勉強」です・・・今の子供に決定的に不足している事ですが・・・ 小さい頃からの大人との接触で、早く大人になったような気がします・・・ しかし小学校低学年から、だんじり祭りで意味もチャンと分からず「春歌」を歌うなんて、親もPTAも今なら真っ青ですねェ・・・(笑) その後大学時代この「芸」が、コンパで大活躍しましたが・・・ ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚 ※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.06.18 14:13:49
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