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カテゴリ:昭和(小中高大)の思い出
オリンピックの思い出と言えば、東京オリンピックは小学校2年生でしたので、バレーボールくらいしか記憶にないのですが、小学校6年生のメキシコオリンピックはよく覚えていますねェ・・・
確かクラスでグループ別に「カベ新聞」を作って楽しんだ記憶があります・・・ 1番の記憶は、陸上男子走り高跳びの金メダリスト「ディック・フォスベリー」です・・・ 彼のスゴイところは、それまでの飛び方の主流であった身体の全面でバーを越える「ベリーロール」から、真逆の背中から飛ぶ「背面飛び」を発明して、五輪新記録の2.24mで金メダルを取ったところです・・・ これには世界中の人々が仰天しました・・・何しろ、これまで全く見た事もないスタイルで飛んでいるのですから・・・それ以降、背面飛びが徐々に普及して、今ではそれが完全にスタンダードになりました・・・ 考案する過程で、相当の迷いや試行錯誤があったのは、想像に難くありません・・・ 何で私が、ここまでマイナーな走り高跳びに拘るのかと言うと、体育の中でこの競技が好きでしたし、その後中学の陸上部では、走り高跳びを専門にしていたのです・・・ 自分でも不思議ですが、何故か?飛ぶのが好きだったのです・・・ 体格的にも筋力的にも劣っている自分が、背の高い人よりも上手く「タイミング」で飛んで勝つところに魅力を感じていたのでしょう・・・ しかし当時オリンピックや国体あたりでは「ベリーロール」が主流でしたが、小中学校の授業や部活では、もっと古い飛び方の「正面飛び」が主流でした・・・ そこで中学1年の時に「新型」の飛び方を、家のベッドで一生懸命「開発」していたのでした・・・母親のおこしのヒモをバーにして・・・ ちょっと練習のやり過ぎて、マットレス下の木が割れてしまい、親父からストップがかかり中断しましたが、すでに飛び方がほぼ完成していました・・・ そして部活の練習で「発表」の日です・・・ 初めて飛んだ瞬間、「変則のベリーロールや!」と思わず感じました・・・通常左からですが、私の飛び方は右からの「ぎっちょのベリーロール」という事になっていたのです・・・ そしてこの飛び方で、校内の体育会の学年別で優勝して自信をつけたのは言うまでもありませんでした・・・ しかし当時は着地時のマットがありませんでしたので(砂場)、着地時の体勢をを考えて飛ばないとケガをしますのでタイヘンだったのです・・・ まず欲望(高く飛びたい)から始まり、手段(飛び方の研究)を熟慮し、結果(実績)を出す・・・という過程を経験するのはとっても大事だと思います・・・他人から見て、どんな小さなことでも・・・その子供にとって「小さな、小さな自信」が芽生えるのです・・・ ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚 ※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.08.11 06:44:07
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