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カテゴリ:人生訓
高校、浪人と勉強が出来なかった為、「失意のどん底」で三流大学に進学しました・・・
「親に迷惑をかけた!」との思い出で、片道2時間の通学時間にも拘わらず、毎日朝5時から3時間織物工場で機織りをしてから学校に行きました・・・ その為「1時限目」に間に合わず、受講科目のプログラムに苦労したものです・・・ また夕方から7時頃まで体育会の古武道部で空手の練習をやっていたものですから、帰りはいつも10時頃でした・・・ しかし翌朝4時半には起きなければなりませんでしたから、「大学生活を謳歌する」とは程遠いものでした・・・ 大学近くに下宿して、授業前に起きだしてくるヤツを、どれだけ羨ましく思ったか・・・ 夏休みなど長期休暇ともなれば、朝5時から12時間働いたものです・・・ まァしかし、単科大学の小さい大学でしたので、古武道部を辞めてから、学連加盟のウインドサーフィン同好会を「割と簡単に」創れたのだと思います・・・ これが有名総合大学だと「伝統と大規模」の為に、いろんな複雑な手続きや妨害などで、途中で挫折したと思います・・・ 単科大学でまだ20年ほどしか経っていませんでしたので、自由にデキたのだと思います 簡単に創ったと言っても、丸一日喋っても語り尽くせないほど、それなりの苦労がありました・・・ その「経験」こそが私の財産です・・・ 当時ウインドサーフィンという、まだアメリカで発明されて10年、日本に輸入されて7年(関西へはまだ5年)、関西では琵琶湖や甲子園浜でチョット流行かけていたものの、大阪では殆ど無名のスポーツでした・・・ サーフィンやヨットからは「ナンじゃ、そりゃ?」という蔑視に近いものがありました・・・ という事で、大学時代は勉強以外の「同好会創部」と言う経験がその後の人生に大きく影響したと思います・・・ 何とか卒業したものの、家業とウインドサーフィンと遊びに夢中になり過ぎ、また三流大学卒という学歴の壁に挟まれ、希望の大企業には就職できず、本意ではない中堅規模の建築建材金物メーカーに就職しました・・・ 家業の織物業をやり過ぎて嫌気が刺し、将来の希望もないと「判断」したことから、親父に「継がない!」と宣言してでのサラリーマン生活への「突入」でした・・・ 当時「一生サラリーマンで頑張るんだ!」との思いから、朝6時には家を出て、夜11時に帰宅という「夜討ち朝駆け」で懸命に働きました・・・ すでに学歴で負けていますし、守ってもくれませんから、「実力」で勝つしかない訳です・・・ 先輩も後輩もなく、とくかく全知全能を総動員して、売りまくりました・・・ また中堅規模で人材も豊富ではありませんでしたから、若手にいろんな仕事をドンドン任せてくれて、新しい仕事を自由にさせてくれたのが、逆にヨカッタのかと思います・・・ 大企業なら、絶対こうは行かなかったと思います・・・ 頑張ったお蔭で、短期間にある程度「業績」を残せましたが、逆に「サラリーマンの限界」を悟るのも早かったです・・・ そして29歳の時に、初めての「転職」を決意したのでした・・・ その10数年後に、その自分を育ててくれた会社が倒産したというのを、一方で自分の「判断」が正しかったのだという複雑な思いで聞きました・・・ まァ、人間、自分なりに一生懸命ヤル事によって、初めてその「チョット前」が見えるという事でしょうか・・・何もしない、努力しない者は、何にも見えない・・・当り前か・・・ ここもポチッと押してください!ご協力お願いします! にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.04.27 08:44:00
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