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カテゴリ:だんじり祭&左甚五郎
今年の町内のだんじり祭りのDVDが出来ました・・・
今年も親戚のウエブデザイナーがプロデュースしました・・・ 毎年質が上がってきて、ナカナカの出来です・・・ しかしこの名越のだんじりも、平成29年に新調だんじりを曳きますから、あと3年しか曳けません・・・ 明治30年代のだんじりですから、もう100才を遥かに超えています・・・ 明治30年代に岸和田の大工町が新調して、大正時代に名越が購入しました・・・ 祖父がちょうど青年団の頃(大正時代)にこのだんじりを買ってきて、以前からあった小さいだんじり(岸和田魚屋町の先代だんじり)と一時期2台曳いていたそうです・・・ もちろん中古だんじりだったのですが、当時新調だんじり以上の6000円もしましたから、相当価値のある素晴らしいだんじりだったのでしょう・・・ 当時の名越はよっぽど、祭が盛んだったのですねェ・・・ 祭好きだった祖父でしたから、親父、私と・・・祭好きなのは当たり前の話です・・・(笑) 母方の祖父も相当祭り好きだったようで、だんじり新調時(昭和8年)に青年団長をやっていて、歴史的に最も有名なだんじり大工「植山宗一郎」の隣に記念撮影でキッチリ写っています(熊取町大宮)・・・ ※大宮のだんじりは昭和を代表する「名だんじり」で有名ですが、何故?あの当時巨大(平成だんじりと同寸法)で素晴らしい彫り物を掘っていたのか、その本当の理由を祖父から聞きたかったものです・・・ 小学校低学年の頃に、親戚の駄菓子屋で木製のミカン箱を貰ってきて、「子供だんじり」をノコギリとかなづちで独りで一生懸命作りました・・・ その時「コマ(車輪)は、機(ハタ)のギアを使え」とアドバスしてくれたのが、確か祖父だったような気がします・・・ 手先が器用な人で、鎌やゴミ箱、塵取り、簡単な家の修繕など何でも自分でやっていました・・・ それを毎日、私が見ていて、見よう見真似していたのです・・・ 両親が仕事で忙しかったので、とにかく何時もお爺さんと一緒だったのです・・・ 親父の兄弟が多く、しょっちゅう叔母さんや小さな従弟たちが来ていましたので、ある時弟妹が欲しかった(当時はまだ1人っ子)ので「おじいちゃん、10円やるさかい、赤ちゃん生んじょう(生んでください)・・・」と毎日祖父にせがんで困らせたそうです・・・(笑) しかし、村祭りは郷愁を誘います・・・ 2,3年前に祭りの安全委員で警備をしていると、知らない女性から話しかけられて、「お父さんの代で名越から出て行って、大阪市内で住んでいるのですが、私の本籍は名越なのです・・・」と免許証を見せられて、意味深な話を涙ながらに聞かされた事があります・・・ 都会に住んでも、自分のルーツは気になるものですし、そのルーツが「まだあれば」すごく幸せになり、元気を与えてくれるものだと感じるのですねェ・・・ 名越も村が出来てから5,600年にはなると思いますので、日本中で名越にルーツを持つ人が相当数いると思います・・・ そういった故郷の祭を、陰からこっそり涙を流しながら見られている人が沢山いるのかもしれません・・・ 岸和田だんじり祭に、犯罪者がよく捕まると言われます・・・ 岸和田出身の逃亡中の犯罪者が、祭りに地元にこっそり帰ってくるそうです・・・それ程祭りというのは、故郷を持った人の心を掴んで離さない何かがあるのです・・・ 日本の祭というのは、その時の当事者がただ騒いでオワリというのではなく、脈々と地元に何百年も受け継がれた精神的なモノが底流にあるのです・・・ という事で、そういう文化も大切にしながらも、今後益々の名越のだんじり祭りの発展を陰ながら祈りたいと思います・・・ ここもポチッと押してください!ご協力お願いします! にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.09.03 08:38:34
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