|
カテゴリ:地元情報(堺市その他)
先日所用で大阪へ行った時に、南海・難波駅近くの今話題のニュースポット「ウラナンバ」に行ってきました・・・
ちょうど、南北がなんさん通りから千日前通りで、東西が黒門市場からなんばグランド花月や道具屋筋にかけての一帯ですす・・・ 同じ大阪のミナミでも、心斎橋やアメ村よりも昔からより大阪的に「ディープ」なところでした・・・ まァ、若者や女性があまり近寄らなかった所とでも言うのでしょうか・・・ しかし実は、私は若い頃から馴染みがありましたねェ・・・ 高校生の頃に、なんば花月前の「A&P」という当時1本100円で観れるポルノ映画館があり、受験勉強を避けるように同級生と授業をサボってよく行きました・・・ どこかで私服に着替えた記憶もなく、よく学生服で入れたものだと思います・・・当時は、時代的に大らかだったのでしょうか・・・ 私はちょうど反抗期で、授業についていけない自分が情けなく、かと言って非行に走る事も出来ず、どこにその若いパワーをぶつけていいのか悶々と悩んでいたのだと思います・・・ イイですねェ・・・若い頃に悩むのは・・・若い頃はドンドン悩んで、転んで、傷ついて、落ち込むべしです・・・ オッサンになってから悩んでは、自己コントロールが不能になり、家族や周りの者が犠牲になり最悪です・・・ 大学生になってから、夜の活動場所はディスコやライブで東心斎橋でしたが、昼はウラナンバの南に隣接している日本橋(電気屋街)だったのです(一時、オーディオ小僧だったのです)・・・ 社会人(サラリーマン)になってから、たまたま会社が高島屋工作所の裏手にあったものですから、ウラナンバは通勤路だったので、知っているも何も私の「庭」だったのです・・・(笑) 30代からの20年間の織物時代は、金曜夜の活動場所はもっぱら東心斎橋からアメ村あたりが主戦場でした・・・(笑) しかしウラナンバの激変は、長年殆ど知りませんでしたし、織物業をやめてから意識する事も全くありませんでしたが、実は2,3年くらい前から予兆を少し感じていたのです・・・ 昔は難波駅と日本橋の間に「壁」というか「空間」がありましたが、最近は「連続」しているなァといった感覚です・・・ アメ村が、西の堀江へと伸びている(広がっている)感覚に似ています・・・ それが、この変化だと思います・・・ ウラナンバのパンフレットを見ると、地元商店主達の結束力を感じます(地元不動産屋が企画かも?)・・・ この結束力こそが、このウラナンバの発信力になってお客をこのエリアに呼び込んでいるのかと思います・・・ 考えてみれば、難波駅周辺は大阪で梅田駅周辺に次ぐ2番目の繁華街です・・・ ビジネスは人の数に比例すると考えれば、難波駅に隣接というウラナンバの立地を考えれば、これまで何の活用もしなかった(出来なかった?)のは、勿体なすぎました・・・ 振り返って、我が貝塚市の南海貝塚駅前の商店街の寂れた姿が悲しいです・・・ もう一度、昭和40年代の頃の活気が欲しいところです・・・ いくらロードサイド店舗に客が移っても、地方と違い貝塚市の人口は過去50年で2.5万人増えているのですから、駅前の活性化について、なんか工夫の余地があるはずです・・・ という事で、ミナミに遊びに行っても、最終的には不動産屋的な発想で締めくくってしまう自分に苦笑いです・・・(笑) (ご注意)ウラナンパとは違います(「パ」ではなく「バ」です)・・・(笑) ここもポチッと押してください!ご協力お願いします! にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.08.03 10:06:43
コメント(0) | コメントを書く
[地元情報(堺市その他)] カテゴリの最新記事
|