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カテゴリ:歴史文化
昨夜は毎年恒例の町内の「行者講(ぎょうじゃこう)」でした(名越・末吉講)・・・
行者講とは一般的に、奈良県吉野の大峰山に参拝・修行する信者の団体です・・・ うちの村(昔から町とは言わない)にも、江戸末期の文久年間から村内の30軒で構成された行者講があり、毎年当番制で30年に1回当番の家に講の成員が集まり会食するのです・・・ 本家と分家(地元では、本家を母屋、分家を隠居と呼ぶ)が1組となり、15組で計30軒の構成になっています・・・ 古い資料を見ると、うちは分家で屋号が「惣治郎」で、本家の「仁左衛門」とペアになっています・・・ 町内には浄土宗と浄土真宗の2ヶ寺があり、檀家も6対4くらいで分かれていますが、不思議と行者講の家は浄土宗に偏っていますが、何なんでしょう(苗字も偏っている)・・・? 行者講と宗派は何らかの関連性があるのでしょうか・・・? 今は10軒が休んでおり、当番の家にお邪魔する事も数年くらい前からなくなり、今は町会館で行者講を行っています・・・ また大峰山に登るのも、最近は数年ごとになっており、毎年登る事はありません・・・ 去年大峰山に登った講の人によると、大峰山も世界遺産に登録されてから人が凄く増えたそうです・・・ そんな行者講も、だんじり祭や盆踊りと同じように150年以上も名越で続いているのです・・・ グローバル化が進展している日本だからこそ、こういった日本の伝統を守らなければならないと思うのです・・・ 外国からすれば、こういった日本の伝統文化や風習は尊敬に値します・・・ だからこそ、大峰山が世界遺産に登録されたのです・・・ 行者講も地方によっては無形文化財に指定されていますし、名越の行者講も貝塚市の無形文化財くらいに指定されてもイイのではないかと思います・・・ しかし毎回思うのですが、江戸時代や明治時代の車や電車のなかった頃に、名越から片道2週間かけて歩いて大峰山まで行ったというのを聞くと、驚きと尊敬以外何ものでもありません・・・ 肉体的な苦痛や病気になっても病院にも行けませんし、夜の野宿なんかでも狼に襲われる危険性もあったでしょう・・・ 往復で1ヶ月・・・正に地獄の修行だったのでしょう・・・ この修行を積んで、初めて男として認められるといった一種の儀式だったのでしょうか・・・ まァ、こんな事を我々の先祖がヤッテきたのです・・・ これは今後も絶対続けるべきでしょう・・・ という事で、昨年は旅行と重なり大峰山に行けませんでしたが、次回の大峰山修行には是非参加したいと思います・・・ ここもポチッと押してください!ご協力お願いします! にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.09.29 05:21:27
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