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カテゴリ:空手 karate
今学んでいる沖縄空手(唐手道 止揚会)は、琉球王家秘伝武術である「本部御殿手(モトブウドンティ)」と、日本の空手に大きく影響を与えた本部朝基が造った「本部拳法」の2つに大きく影響されています・・・
その辺が、一般的な日本の伝統空手やフルコンタクト空手と少し違っているのです・・・ 関西外大の体育会「古武道部(その後、武道拳法部)」で最初に学んだ空手が「林派糸東流」、その後地元貝塚の「沖縄本部流 盛道館(現・本部流盛道派)」で学びました・・・ 偶然どちらも、今学んでいる空手と大いに関係があるようです・・・ ただ、最初に学んだ糸東流の基本が一番役に立っているような気がします・・・ 空手の基本である、立ち方、突き方、蹴り方を、毎日徹底的に叩き込まれたからです・・・ 何でも言える事だと思いますが、20代に身体で覚えた事は、一生忘れないと思います・・・ 逆に言うと、40代から新しいことを始めても、一部の例外の人を除いて、一般的にはなかなか上達出来ないのは仕方のない事です・・・ という事は、20代までに仕事や趣味などイロンナ経験を積むことが、その後の人生にかなり大きく影響するのは間違いないでしょう・・・ 私も20代の10年間は、それこそ今の数倍?の元気さと根性があったように思います・・・ 浪人や留年で親に迷惑をかけた分、学生でありながら毎朝5時から織物工場で働いてから大学に通い、その合間を縫って空手やウインドサーフィンもしました・・・ ウインドサーフィンは特にのめり込み、大学に学連加盟の同好会まで創ってしまいました・・・ また一方で、中学や高校の同級生らといくつかのバンドを作って、ドラムやコンガをヤッテました・・・ 大卒後は建築金物メーカーの営業マンとして、夜討ち朝駆けで毎夜10時、11時に帰宅するほど頑張りました・・・ しかも、入社して2年間は「跡継ぎ」を念頭に入れていましたので、朝5時から2時間織物工場に入ってから出社していたのです・・・ また結婚も26歳と早く、直ぐに年子の子供が2人出来ましたので、甘い新婚生活もユックリ味わう事もなく、稲妻のように20代が過ぎてしまいました・・・ 朝は早く夜は遅いという仕事のし過ぎで、子供に滅多に会うことも出来ずに、たまに会うと何処かのオッサンが来たのかと「ギャーッ」と叫ばれる始末です・・・(笑) しかし今思うと、この20代の10年間のガンバリこそ、私の人生の基礎の全てであったと思うのです・・・ このガンバリがあったからこそ、その後の20年間の多大な借金を背負った苦闘の「エアージェット織機時代」を耐えれたと思うのです・・・ オマケ的に言えば、今こうして空手が出来るのも、ウインドサーフィンを細々ながら35年続けれるのも、これからドラムを35年ぶりに再開しようと思うのも、すべて20代で基礎を学んだからだと思うのです(ドラムだけは、もう一度正式に基本を学ぶ必要がありますが)・・・ という事で、もう60近いジイサンになって思う事は、今までの沢山の後悔や反省は仕方がないとして、これから先20年しかない余生を、どうやって過ごせば、悔いのない人生を送れるか・・・? ここもポチッと押してください!ご協力お願いします! にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.07 11:10:41
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