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カテゴリ:昭和(小中高大)の思い出
親戚の家に、祖父が愛用していた火鉢があります・・・
しかも、私の家の家紋(丸に三つ柏)入りの・・・ 以前、祖父の家を取り壊した時に、捨てるのは勿体ないからという事で、親戚の家に引き取ってもらったのです・・・ 「火鉢(ひばち)」・・・なんて、今の若い人は知らないでしょう・・・ 昭和30年代の子供の頃は、エアコンは未だありませんし、コタツも炭の掘り炬燵で、石油ストーブがボチボチ普及しかけた頃で、まだ何処の家でも火鉢が暖房器具のひとつとしてあったものです・・・ 未だ保育園に行く前の3,4歳の頃は、100mほど離れて住んでいた祖父母宅に毎朝行くのが日課でした・・・ 言って必ず、祖母に「おばあちゃん、紙と鉛筆!」と言って、当時近くに住んでいたひとつ年上の従兄と、戦争の漫画を描き始めるのです・・・ 2人で「ウイーン・・・」「ダダダッ・・・・」「バキューン・・・」とか言って、日本のゼロ戦とアメリカのムスタング戦闘機の空中戦をイメージして遊ぶのです・・・・ 未だ日本が戦争に負けて、15年ほどしか経っていませんでしたから、まだまだ子供にも戦争の影響が残っていたのです・・・ 戦争マンガに飽きたら、火鉢にあたってキセルの煙草を吸っている祖父のところに行って、「おじいちゃん、10円おく~(ちょうだい)」といって小遣いを貰うのです・・・ そしてついでに、金平糖と氷砂糖(昔のお菓子)を口の中に入れても貰うのです・・・ その10円をもって近所の駄菓子屋に行き、「ばあやん、売って!」と先ず第一声大きな声で店に入り(今考えれば、まだ30代だった店のオバチャンに失礼ですねェ)、何故かモノを買う前に先に10円を渡すのです・・・ そして、何かを買ったら「何々こうたでェ!」と申告して店を出るのです・・・ こんな買い方、多分親に教えてもらったのだと思いますが、合理的ですねェ・・・ 買いすぎもありませんし、絶対買うのですから選択眼が養われます・・・(笑) そして、駄菓子屋の横の昔の会館の前の会場(広場)で、紙芝居もよく見ました・・・ 特にお気に入りが、怖い怖いと言いながら見た「化け猫」でした・・・ 外で遊び疲れたら、「おばあちゃん、砂糖水!」といって、水道の水に砂糖を入れて、美味しい美味しいと飲んでいました・・・ まだジュースやコーラのない時代で、その後「粉末」のジュースの元(渡辺のジュースの元)が発売されました・・・ 世の中に、こんな美味しいモノがあるなんて!・・・・と、感動したものです・・・ 今考えれば、「そんな程度の事で?」と言われそうですが、当時はまだまだ日本は物質的に貧しかったのです・・・ そんな懐かしい思い出を、この火鉢を見るといつも思い浮かべます・・・ 父親は9人兄弟でしたので従弟の数も多く、従弟達もきっとこの火鉢でそんな思い出を浮かべるのでしょう・・・ 祖父は手先が器用で、いろんなモノを自分で作っていましたし、まだ小さかった孫の私にもノコギリの使い方やクギの打ち方、ネジの締め方などを教えました・・・ ちり取り、鎌、ハンマー・・・ その影響で、小学校1,2年で既に犬小屋や子供だんじりを自分独りで作れるようになりました・・・ 図画工作が昔から好きなのも、DNAもあると思いますが、祖父の影響も大きいと思います・・・ まァ当時は、物質的にはまだまだ貧しかったですが、精神的には今よりもっと豊かだったように思います・・・ 田舎特有の隣近所とのお付き合いが今より密接で相互の助け合いの気持ちが強かったように思いますし、高度成長期に入りかけていましたので、何より将来への希望が満ちていました・・・ という事で、今は便利な時代になりましたが、何か精神的にちょっと満たされない時代のような気がします・・・ 何なんでしょう・・・? 時代の流れが速すぎてココロがツイテいけない・・・ まるで私のスラロームボード(ファナティック・ファルコン104)のスピードが早すぎて、恐怖感を感じてしまっている(精神的にビビってしまう)のと同じです・・・(笑) このギャップは、良くないですねェ・・・ このギャップを少しでも縮めるために、何か?しなければなりません・・・ それが、これからの人生の最大の課題でしょうか・・・ ここもポチッと押してください!ご協力お願いします! にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.06.19 06:08:17
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