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カテゴリ:だんじり祭&左甚五郎
岸和田の浜手地区(旧市)のだんじり祭が終わり、貝塚のだんじり祭りまで、あと3週間を切りました・・・
夕方になると献灯提灯台に灯がともり、青年団のだんじり囃子の稽古の太鼓の音が聞こえ、集団でのランニングの掛け声も聞え、祭りの雰囲気が段々と伝わってきます・・・ 今は泉州のだんじり祭りも、9月第二土日の岸和田の浜手地区とそれ以外の10月第二土日と、大きく2つの日程が別れていますが、私が子供の頃の4,50年前までは、岸和田の浜手地区は9月14,15日で、その次が熊取の9月27、28日、その次が貝塚の10月4,5日、その次が岸和田の山手地区の10月9,10日とバラバラでした・・・ 泉州は地元民が多いため親戚も多く、だんじり祭の日程が違うと呼んだり呼ばれたり大変でした・・・ その分、他所の祭も見れるので、楽しみでもありましたが・・・ 母親の実家が熊取町大宮でしたので、よく見に行きました・・・ 毎年宮入に、当時泉州最大と言われたデカい大宮のだんじりの大屋根に祖父と一緒に乗って、他町のだんじりの講釈を分からないなりに聞くのが楽しみでした・・・(笑) しかし、当時の地元名越のだんじり祭りは、今と違ってノンビリしていました・・・ 今の他町から応援を呼んででもヤル、「やり回し(全速力で走っての方向転換)」主体の「見せる&走る」だんじり祭りではなく、町内だけの老若男女だけが参加して楽しむ「村祭り」でした・・・ 今のような舗装された道路でありません(デコボコの地道)でしたので走る事は滅多になく、人数も少なかったので「やり回し」どころではありませんでした・・・ 昔は朝の2時にだんじりを引き出し、だんじり小屋から100mしか離れていない私の実家を通過したのは5時でした(今なら1分で通過ですが)・・・ 今では考えられない事ですが、朝から酒を飲み、みんなで歌いながらユックリだんじりを引っ張ったものです・・・ 予定表なんかなく、行き当たりばったりで、よく右に曲がるとか左に曲がるとかで、酒の勢いもありケンカもよくありました・・・ だんじりの前に寝転び、「俺を轢いてから右へ行け」とか酔っ払いが泣き叫んだり、だんじりを追い越そうした車のボンネットの上に乗り「バックせんかい!」と叫んだり、女性の集団がだんじりに近づくと、青年団のニイチャン達がだんじりを放って追いかけていく・・・と、祭になると豹変するリアルな人間の生の姿を子供の頃から見慣れていました・・・ それを見るのも、子供ながらオモシロいと思ったものです・・・ また歌と言っても、民謡の替え歌や「春歌」が主体です・・・ 小学校低学年から青年団と一緒にニヤニヤしながら歌っている姿を見ると、PTAも真っ青です・・・(笑) お蔭で、大学でのコンパでは持ち歌が多いと引っ張りだこでした・・・(笑) 芸は身を助けるか・・・ 昔の祭といえば、酒、歌、ケンカがつきもんという事で、父親はいつも自分が若い時に行っていた癖に、私には行くなとよく言いました・・・ しかし、祭好きのDNAは変えられず、祭り前に待ちきれず、近所の祭好きのガキらと一緒に、だんじり小屋の勝手口の下に穴を掘って、村に黙って小屋に潜り込んで遊んだものです・・・ なんせ、だんじり小屋を初めて開けるのは試験引き当日で、しかも法被を着ずに普段着でだんじりを曳きました・・・ そんなだんじり祭の「本来(本当)の楽しみ」を子供の頃から知っているので、今でもタイコの音を聞くとジーンとくるのでしょう・・・ 岸和田の旧市のような「やり回し」主体の走る祭もイイかもしれませんが、町内の小学校低学年の子供らの将来を考えると、もっと「村祭り」本来の楽しみを教えてやるのが我々大人の使命だと思うのです・・・ だんじり祭りの起源は、村の「五穀豊穣」を祈願する事です・・・ 農家は減りましたが、少なくとも町内の老若男女がだんじり祭を楽しまなければ、祭りの意味がありません・・・ スペイン旅行で、平日の夕方でも老若男女がワイワイ人生を楽しんでいるのを見て、日本人も祭りくらいは見るだけでなく、昔のように自らその輪の中に入って楽しむべきだと思います・・・ ウインドサーフィン界の問題点として、強風荒波での「ジャイブ(風下方向転換)」と「ウエイブ(波乗り)」にフォーカスを当てすぎた結果、愛好者が激減して問題となっていますが、だんじり祭も「やり回し」にフォーカスを当て過ぎて将来大変な事にならなければイイのですが・・・ それを、本当に危惧しています・・・ ジャイブもやり回しも、皮肉にも共に全速力での「方向転換」ですから・・・(苦笑) ここもポチッと押してください!ご協力お願いします! にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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