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カテゴリ:だんじり祭&左甚五郎
先週末は、地元貝塚のだんじり祭でした。
祭一色の泉州全域でだんじりが通る幹線道路網はアチコチで遮断され、仕事や生活に支障をきたす人も多かったと思います。 私の祭りでの役目は、昨年同様そういった車両の交通整理といった裏方でした。 各町のやり回しのメッカである名越ユニオン交差点から少し離れたモービル奥が私のポジションなので、だんじりが通る事も少ないですが、法被を着て「祭りに参加している」だけでも満足です・・・ また救護班(負傷者を車搬送)も兼ねていましたので、昼のだんじり曳行が終わるまで禁酒だったのが辛かったですねェ・・・ まァ、その分祭本番まで青年団の鳴り物(お囃子)らと邪魔にならない程度にチョッとだけセッションしたり、祭り当日の昼休みのだんじりが止まっている時に小中学生らとチョッとセッションしたりして楽しんでいましたが・・・(笑)。 子供らと一緒に一生懸命「一番早い4番太鼓」を叩くと、たった5分でも手にマメが出来て潰れるほどメッチャ体力を消耗しますが、本番では4番を叩く機会は少ないですが(屋根の大工方は踊りにくいので)、4番の練習をしていると3番~1番といった「遅い太鼓」は難なく叩けるのだというのを身をもって分かってくれたと思います・・・ 多用する3番以下だけを練習していたら、4番は叩けません。 叩けたとしても、単にドンドンと合わせるだけでは聴衆に何の感動も与えません。 だんじり祭の鳴り物担当は、単にだんじり走行の裏方だけでなく、曳き子や聴衆も祭全体を盛り上げる「ミュージシャンの誇り」をもって叩いて(笛は吹いて)欲しいと思います。 特に大太鼓は一般的な音楽バンドで言う「リードギター」役で、100%アドリブ奏法のノリでバンド(鳴物5人)を引っ張っていくのです。 このバンドが一体化したノリが、屋根で踊っている大工方に伝わり、それが前梃子や後ろ梃子、曳き子全体に伝わり危険なやり回しに不可欠な「一体感」を生むのだと思います・・・ チームプレーに「ノリ」が必要なように、人生においてもこの何とも言葉では表現しにくい「ノリ」が大事なように思います・・・ 他人から煽られるノリではなく、心の底から湧いてくるノリが一歩踏み出す勇気を後押ししてくれるものです・・・ これまでの人生を振り返ると、鳳高校オーケストラ部でトランペットを始める、浪人時代に大山倍達を信望し受験勉強を放棄して極真空手の池袋本部道場に入門しようと東京へ2週間家出?(大阪支部がまだなかった)、関西外大体育会で空手を始める、その頃中学高校時代の同級生らと2バンド組んでドラムとコンガを始める、大学空手部から地元の沖縄本部流盛道館に転向、大学に学連加盟のウインドサーフィンクラブを創る、建築建材金物メーカー入社、26歳で恋愛結婚、29歳で子供も養えない安月給のサラリーマンに見切りをつけ家業の織物業に戻る、31歳で「人生最大の決断」でバブル前の円高不況時に億単位の借金をして工場を新設して最新鋭のエアージェット織機を全面導入、34歳で両親と別居して子供3人を連れて家族で賃貸マンションへ、36歳で自宅新築、41歳で社長である父親の急死で社業を継ぐ、43歳で一社依存(40数年間、伊藤忠商事の100%委託生産)から脱却して数社の繊維専門商社に取引を分散化すると同時に多品種小ロット化の生産体制に切り替え時代の転換期を乗り切る、まだ景気がマシだったリーマンショック2年前の49歳で織物業からトランクルーム業と不動産屋への転業・・・ そして49歳から今に至る10年間も、1年半同業他社の織物工場の現場で働く(トランクルーム1本では食えなかったので、その間9ヶ月宅建の受験勉強も)、トランクルーム本館と別館の順次開業、不動産屋開業(宅建協会加盟)、日本ファイナンシャル・プランナーズ協会大阪支部加盟(不動産&相続SG参加)、ジェットスキーやバイク保管の「ガレージ659」開業(その後閉鎖)、泉州全域エリアにした倉庫とガレージに特化した「ガレージ倉庫.com」WEBサイトオープン(その後閉鎖し、エリアを貝塚市内に絞って全種の物件に特化した「貝塚不動産.com」に方向転換)、火災保険や生命保険の代理店開業(その後閉店)、音楽スタジオの2,3回トライ&エラー・・・とにかく失敗も多かったですが、まァ結果オーライという事で・・・これらの「ノリのタイミング」を逃していたら、その後の人生がどうなっていたかと思うと・・・??? ノリを掴むのが如何に大事かと・・・ まァ、一番難しい4番を練習する事によって余裕が出てくるのです。 空手の蹴りでも、組手試合や実践で有効で多用する「下段回し蹴り」ばかりを稽古するのではなく、あまり試合でも使わない難しい「上段回し蹴り」をチョッと無理して稽古する事によって筋トレでは鍛えられないインナーマッスルである腸腰筋がより鍛えられ、下段が楽に蹴れるのです。 学校の勉強や仕事もそうですが、自分が楽をして「それしか、しない(やらない)!」のではなく、かと言って「ヤル気」や「根性」といった心理状態によって日々変わる「不安定要素」を当てにするのではなく、モノの考え方や練習方法の工夫や仕組み全体を考える事によって「余裕」を作りだす事が、次へのステップに繋がるのだろうと思うのです・・・ しかし、叩いたあと子供から「オッチャン、ストレス発散してるなァ・・・」にはチョッと苦笑いです・・・ という事で、宵宮の午前中に貝塚南高校前でお隣の橋本町(小中学校は学区違い)と2台だんじりが並ぶ「交流会」があり(2,3年前に復活)、今年も2日間祭で名越出身の方が経営されているステーキ「一歩」さんと、お寿司「すしん坊」さんに豪華な弁当でお世話になりました。 トテモ美味しかったです・・・ 来年もヨロシク! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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