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カテゴリ:ビジネスのアイデア?
今年は年男で、ついにメデタク60歳になります・・・(笑)。
同級生が集まると、多くがサラリーマンですので「定年」の話になってしまいます・・・ どんな集まりでも数人が集まって酒飲んでワイワイ盛り上がればイイのですけど、同級生だけだとそんな話で盛り上がる訳がありません・・・ 「もう、そんな年か・・・」と感じざるを得ません。 私の場合、会社経営といっても1人で動いていますので自営業者みたいなものですから、まだまだ頑張らねば・・・ 頑張ると言っても、気力も若い頃に比べると萎えていますので、そうウマく行く訳ありません。 もう日々変わる気力や体調に「頼って」頑張るのではなく、デキる範囲で毎日のルーティンを決めて、それを淡々とヤッテ行くという事が肝要ではないでしょうか。 落ちていく体力と健康を第一に考え・・・食事と運動に気を付け、早寝早起き・・・真面目すぎて、糞オモシロくありませんが・・・(笑)。 出来もしない目標や計画を立てても、かえって自信を失うだけです。 自信を失うほど怖い事はありませんから・・・ まァ、残酷ですが、自分の「現在の能力」を冷静に判断するってことでしょうか・・・ しかし世の中、起業や独立が若者の特権のように思われがちですが、周りを見ると案外40歳超えての起業が多いように思います。 20代での起業は見た事ありませんし、せいぜい30代でしょうねェ・・・ この辺がマスコミの報道に、チョッと疑問符を打たざるを得ないところです・・・(笑)。 不動産屋に関しても、10年で80%が倒産廃業と言われますが、同数の業者が毎年起業(開業)しているのです。 私の見たところ、40代の起業が最も多いように思いますが、5,60代の起業も少なくありません。 だいたい、10年20年他社で修行を積んで「独立」というパターンが多く、私みたいに何の修行もしない「即独」は例外中の例外です・・・(笑)。 私の場合、トランクルームが本業で不動産屋の方は副業みたいなものですから、何とか7年もやってこれましたが、全く未経験で不動産屋1本だと、殆ど100%ムリだったでしょう。 という事は、「これまでの経験を活かす」事こそが、起業独立の極意ということでしょう・・・ 活かすと言っても、全く畑違いの分野ではリスクが高すぎます・・・これまで経験を積んできた分野(本業)+アルファ(近い周辺分野)でないと成功は難しいでしょう。 という事は、いくら10年働いても、経験が積み上がらない職種とかパート・アルバイト、消化試合的な仕事では意味がありません。 ニッチ分野を狙うというのはビジネスの鉄則ですが、特殊すぎる仕事(分野)はいくらキャリアを積んでも、起業独立のネックになるかもしれません・・・ 私の場合、50歳で織物業から全く畑違いのトランクルームに転業しましたが、全くゼロからのスタートではありませんでした。 というのは、トランクルームに絶対必要なハコ、つまり工場という建物があったからです。 この辺が、IT関連といったデジタル商売への転業なら、全くゼロからのスタートになり、ビジネス的には成功は非常に難しかったでしょう・・・ トランクルームという、アナログ商売だからこそ、まだ何とかヤッテこれたのだろうと思います。 一言で言えば、HPからの集客というデジタル戦略と、織物工場の活用(コンバージョン)というアナログ戦略をうまくミックスさせて、業者に頼らず自分でエンドユーザーを掴むという戦略が功を奏したのだろうと思います。 裏を返せば、長年営んできたエンドユーザーを無視した業者間だけのアナログ的な織物商売(下請け生産)に限界を感じた反動でした・・・ しかしその背景には、ウインドウズ95からパソコンを始めて一般人より多少は詳しかったり、サラリーマン時代の「飛び込み営業」で対人耐性を鍛えられたという経験も活かされたと思うのです。 パソコンも過去20年で10台くらいは買い替えましたので、相当な出費です。 最初に買ったシャープのノートパソコンは、3カ月待ちの40万くらいしましたが、殆ど活用できずにヒドク後悔したものです・・・ 飛び込み営業も年間1000人と名刺交換を目標に、新しい人とドンドン会ってきました。 上場企業の社長から犯罪者に近い人まで・・・名もない中堅企業でしたからイイ思い出は少なく、名刺を目の前で捨てられたり、無視されたり、ドタキャンされたり、実際イヤな思い出が大半でしたが、今思えば不思議とイイ思い出に変るんですねェ・・・これが(涙)。 そのサラリーマン時代の経験が、織物時代のバブル崩壊後の1社依存から数社に分散する新規開拓の「大転換期」や、トランクルームへの転業時の業者への売り込みに役だったのでしょう・・・ また不動産屋開業時も、地元に先祖代々何百年も住んで親戚が地元貝塚を中心に岸和田や泉佐野や熊取に沢山あった事や、地元で長年織物業を営んでいた事が非常に助かりました・・・(涙)。 私は何もしていませんが、父や祖父といった先祖の長年の信用という「無形の財産」を痛切に感じました。 自分「単体」の能力なんて、たかが知れています。 もちろん家族の無償の協力が第一で、親の七光りと言えば表現が悪いですが、そういった「周辺の力」を借りる能力もひとつの才能だと思うのです・・・ 新規に訪問して話をすると、何処かで不思議と繋がって、話が割とスムーズに行くんですねェ・・・(涙)。 実は薄い親戚だったと「発見」した事も、多々ありました・・・(笑)。 不動産屋で同業の「元織屋(或いは糸へん)」さんが多いというのは、そういう事だろうと思います。 総合商社の伊藤忠や丸紅が100年以上前から泉州と繊維の商売で深く関わってきた歴史や、戦後30年間泉州の繊維産業が日本経済を牽引してきた歴史を考えればナルホドと思いますが・・・ それが廃業できなくて倒産になっていれば、先祖の無形の財産も何もかも全て失い、転業どころか再起は殆どムリだったでしょう・・・ 日本はアメリカと違って中小企業経営者に連帯保証(個人保証)を求めますので、倒産は夜逃げ、離婚、一家離散につながりますし・・・最悪、自殺なんてのも普通にあります。 それほど、日本では倒産というのは致命傷なのです。 まァ、基本的にビジネスというのは、自分自身の経験値がモノを言い、経験値があればある程、新しい事をやろうと思ってもリスクが低くなります。 50代は絶対2,30代よりも経験値が高いのですから、これを活かさない手はありません。 起業や独立は、若者だけの特権では決してないのです・・・ 一般的にはよく「成功体験を捨てろ・・・」とか言われますが、そんな勿体ない・・・(笑)。 その成功体験を「次」に活かすのです・・・頭を「パッ!」と切り替えてアレンジするのです。 織物時代に古いシャットル織機から新しいエアージェット織機に買い替えたのですが、全く違う仕組み(システム)の機械で一見関係なさそうですが、実はシャットル織機での経験が役立ちました。 機械の「経糸に横糸を絡める」という根本的な基本が同じで、工場環境がその機械を活かすか殺すかの大きな違いだと導入前に悟ったのがヨカッタのです。 同業他社は工場の改造程度で大丈夫だろうと踏んでいたのですが、私は工場を新築して大がかりで金もかかりますが、地下ピットまで掘って空調をキチンとしないとダメだと親父を説得したのです。 結果、正解でした。 そのお蔭で他社より稼働率が上がり、これで土日休まずに年間355日24時間稼働を20年間続けたのです。 本来なら技術力にモノを言わせて、朝8時から夕方5時まで稼働としたいところですが、残念ながら織物業界でそんな所は存在しません。 殆んどの業者は時間で稼いでたのです。 特に新しい機械を導入したところの殆どは24時間稼働で日曜だけ工場を止めていたようですが、弊社の様にエンドレス稼働(年間355日24時間稼働)を死守していたというのは聞いた事がなかったですねェ・・・ しかし、日曜を止めるか動かすかが大きいんですねェ・・・ 率にして15%・・・単純に15%売り上げが上がる訳です。 それに織機の稼働率を加えれば、上手くいけば他社より20%アップ・・・ 機械というのは一旦止めると「立ち上がり」が上手くいかない場合が多いですが、エンドレス稼働にすると、これが無いという副産物もあり、これで稼働率が0コンマ何%上がります。 電気代もエンドレスの料金体系(ホテルと同じ)にすると、数%くらいは割得のようです。 日曜の稼働を正社員に頼らず、私とアルバイトだけで稼働させていたのです。 20年間、全く休みなしに・・・ これで、ザッと25年分くらい工場を稼働させた計算になります。 5年分、得したのです・・・(笑)。 織機を中国に転売した時も、年式で得しました・・・(笑)。 まァしかし、これはもう、絶対止めない!という「執念」以外何ものでもありません。 親父から言われたとか、誰かにアドバイスされたとか、そういう事はなく、何故か?「工場を止める」という発想そのものがなかったのです・・・ そりゃ、人間ですから「体調が悪いなァ・・」とか「シンドイなァ・・・」という頭に中の誘惑はしょっちゅうでしたが、そんな事を振り切って工場に足を運んだのは、借金がまだあったのと、子供3人を養わなければならなかったという物理的な原因があったからだろうと思います。 やはり私も含め、人間は本来怠け者で、ある程度のプレッシャーがないと動かないものだと思います・・・ ただ、そのプレッシャーが自分の器(能力)以上のものであったら、自分自身が壊れてしまいますので、その自分の器がどれくらいのものか?・・・これを知る事が何よりも大事でしょうねェ・・・ これが、また難しいのですが・・・ まァ、そうやって少なくとも20年間頑張ってきたからこそ、織物業廃業時には「借金ゼロ」になっていましたから、トランクルームへの転業もスムーズに行ったのでしょう・・・ これが、借金があれば銀行とゴチャゴチャ揉めますし、廃業したくても廃業できませんし、転業どころではありませんでした。 という事で、起業独立は、決して若者だけの特権ではなく、我々50代以降の経験豊富な年代のモノと言ってもイイのではないでしょうか・・・? それに60歳になれば、子供も成人独立している場合も多く教育費がかかりませんし、住宅ローンも完済している場合も多いでしょう。 既に自分のライフスタイルを築いている奥さんにとっても、定年だからといって家で旦那にベッタリくっつかれるも、イヤなモノで気持ち悪いでしょう・・・(笑)。 そう意味で、まだまだ元気な今年60歳定年を向かえる我々同年代ジジイにとってチャンスか・・・!? 現実問題、40代で20年後を考えて起業独立の計画を練り、50歳から実際の準備をスタートさせ、60歳で起業独立スタート・・・なんてのが理想でしょうねェ・・・ 別に準備が早く整えば、55歳でフライイングしても構いません・・・(笑)。 先日亡くなった義父は89歳まで現役のお坊さんとして精進されていました。 既に住職を引退していましたが、サポート役に回り、趣味も楽しんでいたようで何とも羨ましい人生でした・・・ 私の場合50歳までアクセル全開で、50歳で急ブレーキをかけハンドルを切り(転業し)、それから9年間アクセルとブレーキを調整しながら、車体が出来るだけ長く持つように、時々ガソリンスタンドで休憩しています・・・(笑)。 とにかく起業独立してエンドユーザーと直接ビジネスすれば、もう組織やイヤな上司など誰にも縛られず、下請け(委託生産)なら親会社や元請けから解放され、自由に張り合いをもって仕事が出来ますし、年金に頼らず収入があれば趣味も出来ますし、サラリーマン時代や下請け時代に比べたら別世界で天国ですよ・・・(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.01.07 09:18:56
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