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カテゴリ:昭和(小中高大)の思い出
貝塚市立木島小学校を卒業してから、今年で丸50年です。
半世紀前に小学校を卒業したという事実に、自ら驚きます。 あれから50年・・・ そう考えると、エライ長い事生きているなァ・・・と(笑)。 電話ひとつとっても、3,4歳の頃は柱に取りつけている木の箱でした。 大人たちは木の箱に向かって、誰もいないのに何か喋っているのを不思議に眺めていたものです・・・(笑)。 今の電話は単なるスマホのアプリです。 無料で海外と喋れますし、メールも送れ、テレビ電話も出来るのです。 恐ろしい変化を目の当たりに、我々の年代の者は経験しているのです。 これから先は来春から始動する「5G(第5世代移動通信システム)」を手始めに、どのような技術改革と社会変化が待っているのか・・・? もう電話という概念が無いかも知れません。 もう、期待するしかないでしょう・・・ 戦後まだ10数年しか経っていなかった子供の頃は、戦後の日本復興をけん引してきた当時最先端ビジネスである泉州の地場産業の「綿織物製造業」を営んでいましたので、電話もテレビも車の購入が村でも早かったです。 夜の7時か8時になると、近所の人達がゾロゾロと「テレビ見せちょう・・・」と、うちの居間にテレビを見にやって来るのです。 当時は未だ水道も無かった井戸水の頃で、自宅前の小川(溝)で洗濯をして、電気冷蔵庫も無かったので木製の冷蔵庫に氷を入れていました。 風呂は薪で沸かしていましたねェ(うちは織物工場から出た油の沁みた風綿)・・・ 車のウインカーも、手で紐を引っ張る手動式でした・・・もちろん、オートマ車もエアコンも自動ドアミラー(窓ガラス)も存在していません。 しかし、振り返れば何でもホント早いものです。 昨日の事は忘れるのに、50年前の事はよく覚えているというのは年取った証拠です・・・(笑)。 イヤ、もう横を向いたら忘れてしまいます・・・(笑)。 だから、その当時の思い出話に花を咲かせるのが楽しいから、小学校5,6年のクラス会をもう7年前から毎年続けているのです。 今年も昨日泉佐野の料亭で開催しました。 もう同窓会に来るメンバーは決まっています。 昨日もクラスメートの訃報がありました。 彼女はまだ一度もクラス会には来ていませんでしたので、亡くなる前に一度でも会いたかったです・・・(涙)。 高校1年のクラス会も毎年やっていますが、これも来るメンバーは固定しています。 同窓会に限らず、世の中に沢山ある○○会という任意の集まりというのは強制でも何でもないので、来て楽しい(メリットある)人は来るし、来ても楽しくない(メリットない)人は来ないだけの事です。 残りの人生の「時間」「金」「情熱(パワー)」の3つをどう配分するかは、人それぞれの人生観で他人は関係ありません。 私も残り少ない人生に於いて、本質的にもっと仕事に取り組むだけでなくプライベートもより充実させる為に、数年前に地元の商工会議所や経済クラブを辞めるだけでなく、その他の見直しも図りました。 もう子供らも独立し60を超えれば、残りの人生は多少我がままを通しても誰も文句はないでしょう。 というか、私は昔から世間の常識や旧習にあまり縛られず、割と自由に生きてきましたので、ただそれの延長です・・・(笑)。 まァ年を取れば取るほど人間というのは頑固になり、行動力も気力も減退しますので、これから年々参加する人数は減って来るのは仕方のない事でしょう・・・ たぶん私は、この小学校クラス会はオモシロいし、まだ気力が充実していますので、最後のメンバーに残っているでしょう・・・(笑)。 2次会は、ちょうど佐野駅周辺で「泉佐野長者バル」というイベントがやっていたので、駅前の行きつけのショットバー・ロンスターに行き1杯吞み、3次会は二色浜駅前のドラムレッスン生がママのセッションバー「YUKAN CLUB」に行ってカラオケやドラムを叩きまくって遊びました・・・ という事で、もう63歳になると、男は男性ホルモンが減少し女は女性ホルモンが減少して性差が縮まり、ちょうどこのクラス会の頃の小学校5,6年の頃に戻った感じです・・・(笑)。 加齢によるホルモンの関係か、男はだんだん覇気や闘争心が無くなって大人しくなり、女はどんどん強くなっていく・・・全くその通りです(笑)。 個人的にはウインドサーフィンやドラムでドーパミンを出しまくり、空手やストレッチや自重筋トレでテストステロンをキープする・・・ 仕事もまだまだ現役バリバリで、積極的に1人で5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、卓球場、自習室、コンサルティング不動産仲介)を展開をする事によってボケ防止になります・・・(笑)。 こういった「健全な手法」によって男性ホルモンの減少を防ぎ、仕事で脳ミソの活性化を促し、ストレスを極力貯めないようにして1年でも2年でも健康寿命を延ばす努力をするのです。 しかし考えてみれば、こういった努力は無意識のうちに40代前半からボチボチ始まっていました。 ちょうど会社社長だった父が急死した時と重なります。 1番頼りにしていた父が突然亡くなった事によって、根本から人生を見つめ直したのです。 従業員と家族を守るのを前提として将来を考え、健康(+趣味)と仕事の両立こそが長期的に人生を充実させると考えたのでしょう・・・ 何にしても、急に出来るものではありません。 5年、10年、20年・・・と地味な努力を継続することによって、やっと効果が現れるというものではないでしょうか。 まァしかし、女性や自営業者は別にして一般的にサラリーマン男性は60歳定年から、それまでの仕事中心の人間関係から如何に脱皮をして、これからの老後人生のプライベートを如何に充実させるかを模索しているのが我々の年代です。 そして10年後には互いに小学校1,2年頃に戻り、20年後の平均寿命あたりで生まれた時の赤ちゃんに戻るのでしょうか・・・(笑)。 80歳の時のクラス会には、全員オムツをしている事でしょう・・・(笑)。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.11.13 06:01:24
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