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カテゴリ:書評
マッキンゼーに在籍していたこともあるコンサルタントの書いた「ズラシ戦略」という本を読みました。
「ジラシ戦略」と違いますよ・・・(笑)。 ナルホドなぁ・・・と思ったところは。 ・新規事業ではなく「ズラシ戦略」とは、スキル等を含めた自社の本質的なアセット(資産)を見つめ直し、新たなビジネスを展開して、これまでとは異なる顧客をつかまえること。 ・ズラシ戦略は、他の場所で使うだけだから成功の確率は高い。 ・変化が激しい時代は、企業が1つのビジネスだけで永続的に発展していくのは殆ど不可能。 ・活用すべき経営資源を「技術」に定め、事業領域を縦方向にずらした富士フィルム ・活用すべき経営資源を「事業領域での見識」に定め、スキル・アセットを横方向にずらしたネスレ日本 ・新規事業開発スタートの決断は、市場調査より経営者の情熱 ・ボストンレッドソックスのズラシ戦略は(15年で売上6.6倍)、自社を「野球の会社」と決めつけず、他競技やスポーツ以外にも目を向けた発想の柔軟性 ・エイベックスのズラシ戦略は、ライブ事業を他社・多分野に展開可能な「スキル(機能)」とそてとらえたこと ・ライザップのズラシ戦略は、「やり方×努力」で明確な結果が出やすい分野を選定し、多角的に展開 といった具合に、全くゼロからスタートするのではなく、今あるアセットを細かく分析して、それを徹底的に活用する方法を考えるのが成功率を上げる方法だと言っています。 確かに、弊社の例も似たような戦略を取っていました。 織物業を廃業する時も、次の事業展開は全く新しいビジネスに手を出すのではなく、既存の2棟の織物工場をトランクルームに改造コンバージョンしただけでした。 2つ目のビジネスはハードウエアではなく、全く未知の分野である「宅建士」国家資格試験にチャレンジして取得し、会社の定款を変更して不動産業者免許も取得して仲介業を始める事によって設備投資はゼロに抑えられました。 3~5つ目は、トランクルームの「空室対策」として、部屋に付加価値(楽器、機材、用具)を設置して月極ではなく、時間貸しの「音楽スタジオ」「卓球場」「レンタル自習室」とトランクルームや不動産とは全く違う3つの新しい顧客を開拓しました。 結果的に、2棟の織物工場の中で5つのビジネス(トランクルーム、不動産仲介業、音楽スタジオ、卓球場、レンタル自習室)を始め、5つとも基本的には全く違う顧客で、言い方を変えれば建物というハードを介した「ズラシ戦略」そのものだったのです。 人に言われなくても、勝手にと言うか自然に「ズラシ戦略」をとっていたのです・・・(笑)。 結果的にズラシ戦略を自然にやっていたのは、5つのビジネスの場所を「バラバラしたら非効率」というのが、織物時代に現場も営業も事務も経理も全て一人でこなす「多能工」というスタイルで、20年間も仕事をしてきて身に沁みついていたからだと思います。 そしてそれは、父親が正にそのようなスタイルで仕事をしていたのを、子供の頃から目に焼き付いた光景だったのです・・・ またサラリーマン時代も、ビル用に施工販売していたピクチャーレールを短くカットしてパッケージにして画材店に直接売ったり、イタリア製の大量の不良在庫だったプラスティック製のフラワーポットを、園芸店と組んで百貨店に花を植えて中元用で完売したり・・・そういった「売り方をズラシした」昔の経験も役立っていたのだろう・・・と。 当時は建築建材金物メーカーの営業でしたが、問屋を通すとか、既存のルートに拘るとか、自社だけで販売するとかいう従来の常識を一切度外視して、「自社商品が最終的にどんなユーザーに売れるのか?」を真摯に分析して、小売りに直販したり、違った分野にテスト販売したり、特定のルートに強みを持つ他社とコラボしたのです。 織物時代もサラリーマンから家業に戻ってきた時は、綿100%の中番手(40番手)使いの織物だけの「少品種大量生産」でしたが、バブルが弾け競争が厳しくなってから、綿100%だけでなく麻やポリエステルの混ざった糸を使ったり、今では普通のストレッチ糸(コアヤーン)を合繊メーカーと開発時から関わったり、太さもジーンズに使う太い糸(5番手)からハンカチに使う細い糸(100番手)までと多種多様な糸種を使い、用途的にもファッション(カジュアル、メンズ、レディス、ワーキング、官需向け、中東輸出用トーブ)から資材(旗、研磨基布)まで多種多様の「多品種小ロット生産」で苦労を伴いながら技術競争力を上げていきました。 これもある意味、同じ織物機械を使ってバリエーションを広げる為の「横へのズラシ戦略」だったのです。 あと現在の事業用の不動産仲介ですが、賃貸中心を売買にシフトしていくのが今の課題で、これも不動産契約を自己完結型で宅建士の私一人で出来ますので、立派な「ズラシ戦略」と言えるでしょう。 という事で、この「ズラシ戦略」で一番自分が危機感を感じたのは、音楽スタジオだったのです。 というのは、元々は織物時代に防音設備があったコンプレッサー室跡を自分の趣味の小さなドラム室を作ろうと、トランクルームの小さな1室を改造して、幼馴染の大工さんとアレコレ試行錯誤で作ろうとしていたのが始まりでした。 ところが、防音と防振対策をやっているうちに趣味の部屋にしてはリスクとお金が掛かりすぎ、「ならば、もっと部屋を広くしてビジネスとしてやってやろう!」と途中で方針を大転換したのです。 そこで問題になったのが、「自分の情熱が趣味に走りすぎないか?」です。 「どうしてもヤリタイ・・・」という情熱が心の中にあるのが分かっているのですが、「誰も客が来なかったらどうしょう?」「ダンスもお客として取り込もう」「暴走して楽器代が高くなって採算割れしないか?」「だんじりの客も取り込むには大太鼓を置かなくては?」「太鼓の革の張替えは25万もするから無理やな?」「採算に乗るのか?」「失敗したらどうしよう?」「失敗しても元にトランクルームに戻せばいいや」・・・とか四六時中頭の中で、そりゃもうイロンナ心配と期待がグルグル渦巻いていてまともに熟睡もできませんでした。 所謂アクセルとブレーキのバランスコントロールを、寝ながらしていたんですねェ・・・(笑)。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.03.04 05:50:28
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