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カテゴリ:中小企業の生きる道
これまでの人生を振り返ると「1979年」と「1987年」の行動が一番思い出に残っています。
もう彼これ3,40年以上前ですが・・・(笑)。 「1979年」はウインドサーフインを始めた年で、「1987年」は家業の織物業で最新設備機械(エアージェット織機)を一新した年です。 どちらも他人(同業他社)よりも一足早く行動したという意味で「世界の最先端を走っているのだ・・・」という自負がありました。 あくまでも自分が勝手に思っているだけで、客観的には知りませんが・・・(笑)。 ウインドサーフィンは全国あちこちレースで転戦し良い結果は残せませんでしたが、大学にウインドサーフィン同好会を創部したりし自分的には青春を完全燃焼させ、エアージェット織機も回転数を世界最速を目指し現場で油だらけになりながら24時間エンドレス稼働で織物工場を回した結果、メーカーと試作とかで協力関係になる程になりました。 孫正義氏の言葉を借りれば、この1979年と1987年の行動は「もっと狂え!本気で狂え!」という状態だったかもしれません・・・(笑)。 ゴチャゴチャ考えず、若さだけを武器に勢いだけで突っ走っていたような感覚を思い出します・・・ そのうち「1987年」とその19年後の「2006年」の行動が幸運を引き寄せました。 この2つの行動抜きには、私の人生は語れません。 それほどインパクトのある出来事だったのです。 1987年はバブルが始まる1年前です。 2006年はリーマンショックの2年前です。 1987年の円高不況時に億単位の設備投資(最新織物機械の全面更新と新工場建設)をし、2006年はその織物機械を中国に転売してトランクルームに転業したのです。 1987年の不況時は機械を安く仕入れも建物も安く建築でき、2006年は北京オリンピックの好景気に沸いていた中国に織物機械を高値で売却できました。 私は株の売買はしませんが、安く仕入れ高く売り抜いたのです・・・(笑)。 しかし、これら2つの行動は突然降って沸いたものではなく、既にその1年前から計画が始まっていました。 1987年の行動は1985年に私がサラリーマンから家業を継いだ年で中古のシャットル織機を一部入れ替えたのですが上手くいかず、1986年に考えに考え抜き一か八かで最新鋭エアージェット織機を導入する決断をしたのです。 2006年行動は2005年に繊維業界にかつてない不況が襲い、それまで24時間エンドレス操業(土日祝日も休まない)してたのですが、いきなり土日を完全休業せざるを得なくなり「もうアカン!ギブアップや!」と決断したからです。 1987年も2006年も、1988年から始まるバブル好景気や、2008年のリーマンショックの大不況なんていう将来を知る由もありませんでした。 たまたま偶然、自分の強運としか説明がつきませんが、決断に至るまでの「死ぬほど考え抜き、そして行動に移した」事が吉と出たとしか言いようがありません。 ソフトバンクの孫さん曰く「脳がちぎれるほど考えよ」のように、レベルに雲泥の差こそあれ、その自分の能力レベルに応じて「考え抜く」「脳がちぎれほど」という事が何より大事です。 オーナー経営者や個人事業主がそこまですると、誰でも夢でも仕事をしていることになりますが、会社(上司から)から仕事をさせられている訳ではありませんので、ノイローゼにはなりにくいと思いますよ・・・(笑)。 他人に左右されず自由に生きる事こそが大事・・・と思いながら生きてきましたが、それを100%実践するのはムリとしても、子育て期間中は50%、60歳超えたら80~90%くらいに出来ればもって行きたいですねェ・・・ もう今年64歳で、サラリーマンで言うと60歳定年をとっくに過ぎ、今頃は週2、3回の勤務でボチボチ仕事をして来年には仕事から完全引退するという気楽な年齢です。 しかし私はまだまだ仕事をヤルつもりですが、もう1979年や1987年のようなパワーも情熱もありませんので、これまでの経験を活かしながら仕事を横に拡大するのではなく、5つのビジネスの深耕策を図りながら後継者である娘を育てながらボチボチとやっていきます。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」「貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.05.12 05:22:10
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