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カテゴリ:中小企業の生きる道
15年前に織物業からトランクルーム業に転業した訳ですが、業者に任せることなく自ら起業しましたので、最初の売上は文字通りゼロでした。
全く何も無いところから何かを起こすという意味で、文字通り「起業」だった訳です。 織物時代は40数年間も、大手総合商社の繊維NO1の伊藤忠の100%下請け(委託生産=賃織り)1本で父親の代から仕事をしてきました。 所謂、値段交渉も何も殆どない「おんぶにだっこ」状態でした。 年間10日しか織物工場を止めず、文字通り24時間エンドレス稼働して月産20万mも布を織り、1ヶ月2回の現金振り込みで、資金回収という面では非常に恵まれていたと思います。 当然不良債権とは無縁のビジネスでした。 この点は、今でも伊藤忠さんに非常に感謝しています・・・(涙)。 確かにバブルまではこのビジネススタイルはよかったかも知れません。 ところがバブル崩壊後、世の中の状況が一変しました。 世の中と言うより、グローバル化によって世界中のサプライチェーンシステムが変わってしまい、日本でいくら布を織っても食っていけなくなったのです。 正に、青天の霹靂という言葉がピッタリです。 今回のコロナで影響を受けたトランクルームや音楽スタジオの比ではありません。 「世の中がひっくり返った」とでも表現するほど、織物業というより日本の繊維業界全体がグローバル化の影響をまともに受けたのです。 では、どうしたか? 当たり前の事ですが、織物工場という設備がある限り(借金もあった)、どうにかして工場を24時間稼働させてお金を稼ぐしかないのです。 伊藤忠も大リストラで繊維部門ではアパレル輸入などの川下戦略にシフトし、弊社が関わっていた川中や川上分野は国内より国外との取引を増やす方向(3国間取引や開発投資にシフト)に転換して賃織りという発注形態が無くなったのです。 奇しくも、弊社が伊藤忠最後の賃織り織屋になったのです。 普通に考えれば、何十兆円も売上がある会社が「1m織って60円や70円」といった細かい委託生産が出来る訳がありません。 時代の流れが総合商社のビジネススタイルを変えたので、それに伴って我々取引業者も商社をアテにせず自ら変わっていかなくては生き残れないと覚悟したのです。 そうすると、他の繊維会社を新規開拓するしか方法がありません・・・(汗)。 この時役立ったのが、サラリーマン時代の「飛び込みセールス力」です。 10数年ぶりの営業マン感覚が戻ってくる自分に、薄給に耐えた思い出が蘇ってきました・・・(笑)。 小さな子供2人と家内を抱え、朝6時に家を出て夜11時に帰宅の毎日で手取り月15万円でしたから・・・(涙)。 まぁしかし、同じ繊維業界の新規開拓でしたので、サラリーマンの飛び込みセールスに比べて楽で、正に「自分で仕事を作っていく」というポジティブな感覚で、下請けからの脱皮の第一歩だったのです。 この難局で営業経験が無ければ一発でアウトだったのを考えると、幸運だったとしか言いようがありません・・・(汗)。 伊藤忠浜松支店を紹介してもらい浜松産地の産元商社をくまなく同行セールスしたり、大阪本町の繊維専門商社や紡績会社や合繊メーカーを軒並み飛び込みセールスしたり・・・ しかし、本当の意味でのエンドユーザーを開拓していく「自主経営」とは程遠いもので、繊維業界の川下の顧客を開拓せず、単に同じような川中を開拓しただけに止まり、繊維業界で生きていく上で限界を感じたのでした。 最大限の努力して天命を待っても、この業界では自分の力では無理だと悟ったのでした・・・(涙)。 サラリーマンでも家業でも将来性がないと判断したらスパッと方向転換すべきで、特に経営者は自らチェンジする行動力(経営能力)が試されます。 そして数年後、不安と希望が混ざり合った複雑な気持ちで、全く新しいトランクルームという仕事に転業したのでした。 既に貝塚や岸和田には数社のトランクルームがありましたが、本気で取り組めばまだまだブルーオーシャンに出来る可能性を感じました。 というか、織物業の呪縛からやっと解放され、その嬉しさのあまり「なんや分からんけど、やったるでェ!」という心の叫びみたいなものがありましたねェ・・・(笑)。 織物時代は10に努力に対して2くらいしか返ってこないという「空回り」でしたが、自らエンドユーザーを開拓して、せめて5くらい返ってくるようにしようと。 当然トランクルームを起業しても当初は上手く行かず、他社の織物会社で1年半働いている間に早朝2時から全く未知の分野であった宅建の受験勉強を9か月間しても苦にならなかったのは、今考えるとやはり繊維業界から「解放された喜び」からだったと思います。 それほど繊維業界で生きていくには、バブル崩壊の2,3年後に頼りにしていた社長であった父親の急死もあり、肉体的にも精神的にも能力ギリギリの状態が長年続き本当に苦しかったからです・・・(涙)。 同業者の織物業者も、1960年代後半の最盛期には貝塚市から岬町まで680社あったのが、約50年で98%減の10数社しか生き残っていないのが織物業界の厳しさを物語っています。 弊社は15年前に倒産せずに借金をキレイに返し何とか廃業に持ち込みましたが、どこかで一歩間違えると倒産していたかも知れません・・・(汗)。 という事で、これから本格的に始まろうとする今回のコロナ不況下で、もっともっと酷かったバブル崩壊時の新規開拓を思い出し、トランクルーム以外の4つのビジネスで一旦線を引いて「もうひとガンバリ」しようと思うのでした。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.03.29 04:41:24
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