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カテゴリ:中小企業の生きる道
先日ららぽーと和泉で、以前から欲しかった大きめのロゴスの折り畳み式キャンピングチェアを買いました。
これまでにもロゴスのBBQセットやテーブルセットやテントなんかも買ったりして、アウトドアでロゴスブランドがかなり浸透している感じです。 実はサラリーマン時代の40年前、ロゴス(当時は大三商事)と取引をしていたのです。 当時はまだ船具問屋を中心に色々模索している最中で、そこに今の社長が「バギーチェアを売ってくれへん(仕入れたい)?」というオファーが突然きたのです。 バギーチェアーとは、当時勤務していた建築金物建材メーカーが折り畳み式ベビーカー「ベビーバギー」を製造販売していて、その応用でキャンピング用として販売していた折り畳み式チェアーの商品名です。 私は未だ駆け出しの頃で、従来の金物ルートやホームセンタールートとは違った「新規開拓」を一生懸命していた頃で、渡りに船とばかりに喜んで営業に飛んでいきました。 そこにはロゴスがフランス製のウインドサーフィン(CRITブランド)を販売しているというのを既に知っていたので、営業が加速されました・・・(笑)。 当時ヨーロッパではDⅡボード(ラウンドボトム)レースが盛んで、その後オリンピック艇種に選定されたレヒナーもラウンドボトムで、クリットD2もヨーロッパのレースで輝かしい戦績を残していて、CRITブランドは日本ではメジャーではありませんでしたがヨーロッパではソコソコ有名だったのです(結局日本ではDⅡボードは流行らず)。 オリンピック種目は発祥のヨーロッパで流行って初めて採用されるもので、いくらアメリカや日本で流行しても(野球やアメフト)オリンピック種目にならないというのを、ウインドサーフィンを例に痛感しました。 また当時の日本のウインドサーフィン業界はアチコチ特許裁判の最中で、そんなリスキーな時期に特許を搔い潜って上手に仕入れ上手に販売している彼のビジネスセンスに感心したものです。 そして商談成立・・・もう忘れてしまいましたが、おそらく何百本ものバギーチェアを新規で契約できただろうと思います。 それと私的にウインドサーフィンのCRIT270というファンボードをロゴスから1本格安で買い、親戚にもロゴスを紹介してやりCRITのセットを買いました。 まァ当時は、ロゴスも船具問屋からアウトドアへの進出をイロイロと模索していたのでしょう・・・ 当然それから社長と同い年という事もあり急速に親しくなり、よくミナミに飲みに出かけました。 時には彼の中高時代のオーナー企業の親友も合流して。 詳細は避けますが、オーナー企業としての心構えや税金対策に長期戦略を持っている事に驚きました。 まだ20代なのに、よくそこまで考え抜いているなぁ・・・と。 彼との付き合いで、当時はサラリーマンで一生食っていくつもりでしたが、サラリーマンよりやはり家業に戻った方がイイのかなと心が揺らいだのかも知れません。 商売抜きに、彼との付き合いはメチャメチャ勉強になりました。 ちょうど同じ時期に、同時進行で工具商社の山善に会社の朝礼も出ないで、夜討ち朝駆けで猛烈に山善に営業を仕掛けていました。 当時山善は工具ルートとは別の販売網を模索する意味で、家庭機器課というホームセンター向けの10人足らずの新しい課を立ち上げたばかりで、ホームセンターのチラシや通信販売に商品を掲載してもらおうと日参していたのです・・・(汗)。 テレビドラマで一躍有名になったモーやんこと山本猛夫社長に、「ある秘策」で直談判して取引に成功しました。 今考えると、無名メーカーの若手社員が1部上場企業の社長に直接会って「商売させてください」なんて、よく言ったものだと冷や汗ものです・・・(笑)。 当時はそんな蛮勇があったんですねェ・・・(笑)。 当時勤務していた会社に継続的に利益をもたらしましたが、取引先に朝9時に到着するには朝礼に出れなかったので人事評価が下がったり、親戚の葬式で休むと始末書を書かされたり・・・ノリに乗った営業をして自信もついてきましたが、同時にサラリーマンの矛盾や不満も出てきて「こりゃ、いつまでもこんな会社に居る訳にはいかないなぁ・・・」と仕事をすればするほど思い始めたのも確かで、4年間でサラリーマンのピリオドを打ちました。 それから40年経った今、山善はジェネリック家電で日本で有数のメーカーに成長しました・・・(驚)。 当時の初代課長や主任が、後に山善の重役になったと聞いて驚きました。 そんな必死のパッチで仕事をしていた20代に、公務員の友人に道でパッタリ会い「仕事をしたら上司に怒られるんや・・・ヒマでヒマでしゃ~ないわ」と自慢げに言われ、拍子抜けしたのを思い出します。 羨ましい反面、上司の顔色を常に窺いながら忙しいフリをするのも大変だなぁ・・・と逆に気の毒に思いました。 という事で、ロゴスと山善の現在の躍進を考えると、その源流は40年前にあり私がその場でリアルタイムで居合わせた事実に不思議な感じがします。 その後家業(泉州の地場産業の綿織物業)に戻り社運を懸け新工場を建てエアージェット織機という最新鋭の機械を導入し20年間355日24時間操業できたのも、バブル崩壊で40数年取引のあった総合商社から専門商社への切り替えが新規開拓で上手く行ったのも、15年前に織物業を廃業してトランクルームに転業できたのも、リーマンショックも何ら影響を受けなかったのも、今回のコロナ禍も5つの全体の売り上げが変わらなかったのも・・・・すべてサラリーマン時代の経験が活かせたと思いたいです・・・(汗)。 余談ですが、同じ時期のプランタン難波店オープンの朝に、ダイエー創業者の中内功氏と喋った事があります。 その日は応援販売に行ったのですが、遅刻してしまいエレベーターでは間に合わず、客が利用するエスカレーターを走って現場まで向かっている時に、中内社長の視察団に出くわし「君はなんだね?(なんで販売ポジションについていないのか?)」と言われ「遅刻して申し訳ありませんでした」と素直に謝ると、「そうか」と去ってしまいピークの緊張が一挙に解けてしまった失敗談を思い出します・・・(笑)。 また後になって分かった事ですが、山善の家庭機器の最大功労者である初代課長は、私の親友の叔父さんだったというオチには笑ってしまいました。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.10.01 11:38:30
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