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カテゴリ:ビジネスのアイデア?
盆正月に関係なく、もちろん土日祝日に関係なく、365日毎日ワンパターンの多少ズレがあっても基本的に21時就寝4時起床です。
これが自分にとって最も自然なルーティンなので、何の努力も要りません。 ルーティン化や習慣化すると努力が要らないというのがポイントです。 他人から見ると一生懸命仕事をしているように見えると思いますが、本人は不思議と毎日仕事をしている感覚がないのです。 これが仕事と思うと、月曜の朝が起き辛くなるのは誰でも同じです。 振り返れば、織物時代のエアージェット織機に入れ替えてからの20年間は工場を355日24時間エンドレス稼働(月産20万m)させていました。 月~土は正社員で、日曜は時給を1.5倍にしてバイトを雇っていました。 バイト採用でも工夫して、同業他社の熟練工だけでなく全く素人の体力のある大阪体大生を雇い1から訓練しました。 いわゆる逆転の発想で、これまで常識だった新聞広告に頼らず、大学の就職課に直接出向いてバイト募集をしていたのです。 何のことはない、大学時代の友人が就職課でよくバイトを見つけていたのを思い出したまでで、従来の織屋目線ではこういったアイデアは浮かばなかったでしょう。 日曜はバイトだけなので、私が必ず早朝から工場に入り、運がよければ2,3時間仕事をするだけで済みました。 盆と正月だけ工場を止めて、その他は毎日仕事・・・そんな事を20年も続けていたたのです。 私の自慢はジムでふくらはぎ断裂で松葉杖をついてでも、海で膝の靱帯断裂でサポーターをしていた時も機を織り、父親の葬式以外20年間1日も工場を止めなかった(盆正月以外)事です。 しかも業界的にマーケットクレームみたいなモノもあり、翌月の仕事を常に心配しながらで神経をすり減らす毎日でした・・・(汗)。 今は無借金経営ですが、当時は借金もあり資金繰りも今の何十倍の大金が動くので、気の休まる事がありませんでした。 まだ30代から40代だったので精神的にも体力的にも頑張れたのでしょう。 そんな長年の無理がたたって、昨年1月に脊柱管狭窄症の手術をしましたが。 まぁしかし、そんな過酷な織物業の経験を20年間もすると、今の5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、テレワーク室、卓球場、不動産仲介業)と言っても、まるで毎日遊んでいるようなものです。 特に景気の波に左右されますが、遊び要素の強い音楽スタジオと卓球場を起業したのが、バランス的に功を奏しているのか・・・と。 まァ感覚的に織物時代の10分の1くらいの仕事量だと思います。 気力も体力も3,40代の半分として、実質5分の1くらいの仕事量ですから、週休5日制みたいなモノでほとんど休みみたいなものです。 これなら80歳まで楽勝で働ける・・・と。 まぁしかし何より従業員を雇っていないので、人事的な心配や苦労がないのもストレス低減になっていますし、昨年から後継者の娘が入っていますので、私がいつ仕事を引退してもイイような体制を取りつつあります。 織物時代は、正社員だけでなくバイトやパートも全て私が大学生の頃から父親に代わって面接し雇っていましたので、そりゃイロンナ人がいました。 そんな人事もやっていて散々苦労させられましたが、いい勉強になった・・・と。 一番印象に残っているのが、深夜の従業員(22時から5時までの深夜勤務)を毎日車で送迎していたのですが、ある雪の降っていた冬の朝に、車のスリップで5時1分に工場に着いたところその従業員がいないのです。 いつもは5時2,3分前に着くのですが、結局私が雪のために1分遅れた事に腹を立て、家まで1時間トボトボと歩いて帰ったのです。 それ以降、その従業員は会社に来ませんでした。 父親は「お前が悪いのだから、次の従業員が見つかるまで代わって晩10時から朝まで機を織れ・・・」と。 コレには参りましたけど、「うちは1m織ってナンボでメシを食っている」という日頃の父親の言葉通り、結局次の深夜従業員が見つかるまで2週間くらい深夜労働をしました。 当時はまだ学生でしたが、大学も部活もデートや遊びどころではありません。 自分の失敗は、自分でリカバリーせよ・・・という教訓です。 この原体験が、今の仕事の楽さのすべてを物語っています。 15年前に織物業からトランクルーム業に転業した時に、いち早くIT化の流れに乗れたのも、織物時代にシャットル織機から「100年ぶりの革新織機」と言われたエアージェット織機の波にいち早く乗れた経験があったのだろうと思います。 子供の頃から慣れ親しんだシャットルで散々技術的な苦労をしましたが、180度方向転換のエアージェットを導入すると決断してから、これまでの技術を捨て「新たな気持ち」で先ずトヨタに1週間技術研修に行ったことによって、「やはり新しい風に乗らんとアカンなぁ・・」と心の底から思った経験が、IT化の波にいち早く乗る覚悟を決めたのだろうと思います。 エアージェット工場新設で何億もの借金が背中に乗っていたのもありますが・・・(汗)。 という事で、父親が持病の心臓病で病弱だった事で、子供の頃から父親に代わってイロンナ事をさせられていたのが功を奏したのかも。 一番困ったのは、大学生の頃に両親とも腰痛で入院してしまい、商社からの糸の受け渡しや織物の出荷依頼をすべて入院の事を隠しながらこなしている時に、1番頼りにしていた工場の機大工さんが「もう辞めるで!」と脅された時です。 辞められたら一巻のおわりでしたので、必死のパッチで説得し、何とかその場を丸く収めました・・・(汗)。 同級生のみんなは楽しい学生生活を謳歌しているのに、何で俺だけこんな苦労をやらんとアカンのや・・・と悔やんだりもしましたが、自分の運命だと諦めました。 まァ若い頃に学校で学ばないこんな経験させてもらって、本当に有難かったと思います・・・(汗)。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.10.12 08:43:33
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