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カテゴリ:中小企業の生きる道
鳳高校時代はオーケストラ部でトランペットを吹いていました。
オケ部(管弦楽)なので、クラシック音楽を大人数で演奏していました。 しかし、家ではシカゴ(ブラスロック)のレコードを大音量でガンガン聴いていたのです。 いったい、この落差は・・・(笑)。 これに加え、小学校入学前からだんじりの鳴り物(大太鼓、小太鼓、横笛、鉦)も続けていて、小学校2年では宮入本番で大太鼓を任されていたのです。 特に受験勉強が大事な中学3年の時に、全国文化芸術祭?の大阪代表で私のクラスが貝塚の文化芸術民謡の練習を毎日放課後にして、私が大太鼓担当で数か月間集中的に練習したお陰で音楽の内申が10だったので安心したのを思い出します・・・(汗)。 クラシックピアノの音楽の先生を、和太鼓の音で感動させたのです・・・音楽はジャンルを超えるというのを実感しました。 当然校内に太鼓の爆音が響き渡りますので、何処からともなく私の周りにダンジリ好きな連中が集まりだし、だんじり談義に花が咲いてしまい、真面目に練習するのに苦労したのを思い出します・・・(笑)。 今思えば、吸音性の高い分厚い土壁の土蔵の中でロックを聴いていましたが、田舎ですので敷地面積がどこの家も100坪くらいあり家同士が離れていますので、外にはあまり音が漏れないので助かりました・・・(汗)。 その後大学生の時に、この土蔵でドラムを叩いたり、サンドバッグを吊って空手の突きや蹴りの自主練習をしていたのです。 まぁ、クラシックとロックとだんじりの鳴り物・・・と3つ全く違うジャンルの音楽をやっている高校生は大阪で私ひとりだけでしょう・・・(笑)。 たまたま中学時代にブラスロックのシカゴにハマり、「高校生になったら、トランペットをやるぞ!」と思っていたのですが、鳳ではブラスロックをやれる吹奏楽部も軽音楽部もなく、トランペットができるのはオーケストラ部しかなかったのです。 なので、仕方なくあまり好きではないクラシック音楽をオケ部でやらざるを得なかったのです。 オケ部に入ると、陵南中学や上野芝中学といった吹奏楽部で全国的レベルばかりで、高校から楽器を始めるのは私だけでした・・・(涙)。 貝塚三中は当時も今も吹奏楽部はなく、当時からの堺市の音楽文化レベルの高さに度肝を抜かれたのです。 当時は泉南エリアの中学の男子が丸坊主が殆どで言葉も泉州弁丸出しで、ファッションも早くからミナミの影響を受けていた堺市の中学生のレベルに遠く及ばず、ロングヘア美女が多い都会的な女子も多く、高校入学と同時にカルチャーショックを受けたのでした・・・(笑)。 まぁしかし、オケ部で幼い頃から中学までずっとクラシックピアノをやっていた後輩にロックの素晴らしさを教えてやると、人生が変わりました・・・なんて涙ながら言っていたのが印象的です。 それほどクラシックとロックの間にある壁は高いのです。 ただ1つの上のフルートの先輩が「これからはジャズロックや!」とオケ部から飛び出し音楽愛好同好会なる今の軽音楽部みたいなモノを創ってシカゴ(ブラスロック)のコピーをやり出したのには度肝を抜かれました(同級生らはキャロルのコピー)。 私も参加したかったのですが、技術的にシカゴのブラスは難しく、中学からキャリアのある同級生らがこのバンドに引き抜かれ、私には声が掛かりませんでした・・・(涙)。 声楽の音楽の先生が「〇〇君、カッコイイ!」とキャーキャー言いながら、中庭でライブをしていたキャロルをベタ褒めしていましたが、当時は激しかった学生運動の反動で、学内には「何をやってもOK」的な自由が満ち溢れ、フォークソング部でもないのに廊下や教室にフォークギターを持ち込んだり広い校庭で自由に歌っている生徒も沢山いました。 私もシカゴのニューアルバムを心斎橋のヤマハでいの一番で買った翌日に、友人が部長をしていた放送部に持ち込んで昼の休憩時間に掛けてもらいました・・(笑)。 そんな好きな音楽を自由に聴けた高校時代の環境がヨカッタのでしょう・・・ まぁ1970年前半当時の高校生はロックの中でも「ディープパープルなんか邪道や、俺はビートルズしか聴かへん」とか、「俺はシカゴ1番や(私ですが)」と頑なに狭い路線しか聴かないのが、当時の風潮だったと思います。 当然フォークソング部は、当時全盛だった日本のフォークソングだけで洋楽ロックなんかは見向きもしませんでした。 こういった細分化は、当時の高校生の1カ月の小遣いに近いLPレコード1枚が2300円くらいだったという、経済的な理由もあったのです。 今はspotifyなどのサブスクで1か月1000円程度で、何万曲も聴ける時代ですから、我々音楽ファンにとって正に今は天国だったのです。 そしてリハスタ経営的にも、楽器機材が高品質で安く仕入れることも出来、バンド機材でも安心の日本メーカー(ヤマハ、ローランド、パール)が主力なのも新規参入の障壁を下げました。 特筆すべきはスタジオ内のWiFi導入で、これによってスタジオの遊び方(YOUTUBE、インスタやツイッターといったSNSの発信、ライブ配信)が一挙に広がりました。 まぁ高校時代全く正反対のクラシックとロックの両方を聴いていた事によって、その後フォークソング、Jポップ、ソウル、R&B、フュージョン、ジャズ、レゲエなどのジャンルが私の耳とハートにスッと入って来たのでしょう。 要はまだ頭が柔軟なティーエイジャーの時に、両極端のジャンルの視覚的な刺激(音楽)が、既成概念や垣根を取っ払うのに役立ったのでしょうか・・・? それが50年経って、結果的に今の5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、テレワーク室、卓球場、不動産仲介業)を営んでいる事に繋がっているのかも知れません。 という事で、多感な中高生の時に自分の好きな事を突き詰めるというのが一生を支配しているような気もしますが、それを経済的に許してくれた両親に感謝しなければなりません・・・(涙)。 それにしても、中学時代に貝塚駅前商店街にあったエコーというレコード店に行って、2時間も店長の顔色を見ながら視聴を繰り返し、やっとの思いで1枚350円のシングルレコード(A面だけお目当ての曲)を買ったのが私の原点だったのです(1か月の小遣い500円)。 そして昔の鳳高校の正門前に原田村のだんじり小屋があり、高校生だった私は中を覗いていて見ると「上だんじり」があるのにビックリし、村の人に聞くと「もう何十年もだんじりを曳いていないんや・・・」と当時言ってましたが、今は全国的に有名になった岸和田の「下だんじり」に影響されたのか、明治時代に新調された岸和田市宮本町のだんじりを購入して大修理して曳いているのに驚かされます。 当時は名越も明治30年代に大工町が新調しただんじりを大正時代に購入したまま、何の修理もしないまま真っ黒のだんじりを曳いていましたが・・・😁 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.10.15 05:21:35
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