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カテゴリ:中小企業の生きる道
1949年(昭和24年)に祖父が織物業を創業してから今年で72年になります。
2006年に織物業からトランクルームに全面的に事業転換しましたが、「家業」として内容は変わりましたが72年間生き残ってきた事になります。 まぁしかし祖父~父~私と3代に渡り生き残ってきた秘訣は何だったのでしょうか・・・? 父親までのバブル期までは割と順調でしたが、バブル崩壊してから間もなく父の急死から一変しました。 40数年続いてきた大手総合商社の100%賃織りが無くなりました。 というか、バブル崩壊によるリストラでこれからの雲行きを察知して、こちらからビジネス転換を図ったのです。 私の視線はもう「次」の商社の浜松支店や繊維専門商社や紡績や合繊に向いていました。 「もう商社はあてにならない・・・次を探そう」と、パッと切り替えました。 その後バブル崩壊後はメインの取引商社だけでなく、長年お世話になったメインバンク、運送屋、税理士、部品仕入先、サイジング業者・・・と次々と経費削減をメインに見直していきました。 特にタブーと言われてきた銀行とのリスケ交渉に本格的に取り組み、借金の集約化にメドをつけました・・・(汗)。 長年入っていた地元の商工会議所や経済クラブも辞めました。 涙が出そうになりましたが、ココは従業員と家族を守るために経営者の「思いっきり」しかありません。 会社が生き残るためにはどうしたらイイのか・・・というのを冷静に具体的に細かく分析して、粛々と進めるしかありません。 もちろん単に料金だけでなく、これまでの信用や感情も含てトータルのロングスパンで判断しなければなりません・・・(汗)。 41歳の時に父親急死の経営交代で無理がたたったのか、持病の腰痛(ヘルニア)の悪化で一時寝たきりになって小切手を切っているとき「このままではイカン!」と、少しマシになってからジムに行きだしました。 筋トレやスタジオプログラムで身体の調子が少しマシになったので、ウインドサーフィンも340㎝のオールラウンドボードから270㎝のスラロームショートボードに乗り換え、本格的に再開する事にしました。 トランクルームに転業してから売上が一旦ゼロになりましたので、更に見直しを進めて通信費(電話、携帯)、エンドユーザー直に転換(BtoB→BtoC)、ネットバンキング、法人クレジット支払い(領収書収集が不要)、事務のIT化(ペーパーレス化)、連絡の非同期通信化(LINE、メール)、リモートワーク(小型PCによる旅行先から)、防犯WEBカメラ10台、WEBドアホン2台、ロボット掃除機ルンバ4台導入(他に掃除機8台)、建物扉のオートロック化、人感センサー化(通路照明)、水洗トイレ化(暖房便座、温水ウオシュレット、自動開閉フタ)、軽トラックを自分で再塗装し20年超保有でレンタル、ロフトを自分で製作(電動工具の最新化)、建物内を自分で塗装、電気工事業者、看板屋、各工事業者(職人)・・・考えられる事をすべて実行していきました。 まさか収入が一時ゼロだなんて・・・想像もしていませんでしたが、それでも前年度の業績に対して税金が掛かってきますし、子供の学費も確保しなければなりませんので、必死を通り越してホント気絶しそうでした。 生き残るためには常に「アップデート」が必要と痛感し、それを実践してきたからこそ生き残れたのだと思います。 アップデートを「カイゼン」という言葉に置き換えれると思います。 「老舗は常に新しい」と言われますが、単に歴史が古いだけではそのうちに淘汰され会社が無くなってしまうので老舗もクソもありませんから。 昨年からのコロナでも、毎日入れ代わり立ち代わり出入りするスタジオ会員さんの顧客管理をエクセルで管理するようになってから「予約申告(会員番号と苗字)」をラインでするようにお願いしました。 いくら半分遊び的なスタジオ経営でも、生死に関わるコロナに関してはキッチリしたスタンスで臨まないと、会員さん全体に迷惑を掛けます。 という事で、父親が急死する41歳まで責任のない「専務」としてボーっと生きてきましたが、親父が死んだことによってパッと目が覚めました・・・(汗)。 自分が「頭」になって会社と家族を引っ張っていかないと。 気づけば、アレから24年経ちましたが、何とか親父に顔向けできるように内容は変わりましたが「存続」しています・・・(汗)。 我が家の家訓「名を捨て実を取る」を守ってますよ・・・と。 そして今から思えば、仕事をやりすぎて身体を壊した42,3歳の頃からジムで身体を鍛え直すと同時にウインドサーフィンの本格的な再開が、仕事の基本中の基本である身体の調整とストレス発散に役立ったのかと思います。 その40歳超えてからのジム通いも、20代に空手とウインドサーフィンの補強運動でボディビルジムに通って理論を知っていた事がプラスになり、日本の松濤館流空手にもルーツを持つコナミスポーツの「ボディコンバット」というニュージーランド発信の格闘技系スタジオプログラムに出合ったのがラッキーでした。 ジム通いの90%が長期的に継続できないと言われる中、慣れた空手の動きに近いボディコンバットで継続する事ができ、その後本格的に30年ぶりの沖縄空手の再開に繋がったのです。 40超えて新たなスポーツな楽器などに挑戦したり、新しい仕事に転職するという掛け声はカッコいいものですが、現実的には新しい動き(仕事)というのは脳にストレスを与え、上手くやるのは相当な努力が必要だと思います・・・(汗)。 やはり、慣れたモノが1番ですが・・・ 20年以上前にジャスコ貝塚店にあったスポーツクラブ「スペース」でディスコの延長のノリで始めたヒップホップも独特のリズムについていけませんでしたが、その後コナミやジョイフィットでもテキトーに楽しみ、今の音楽スタジオ経営にもヒップホップとだんじり鳴り物の経験で「バンドだけでは客は集まらへん・・・ダンス客と和太鼓も取り入れよか・・・」というアイデアが閃き、最初のAスタジオの広さを22畳(2尺5寸の大太鼓が入るように防音ドアも別注)にしたのです。 なんか人生って、突然ヤル気が出てきたり一発逆転なんてあり得なくて、多少の波(浮き沈み)があってもズーっと繋がっているんだなぁとツクヅク感じます。 結局、不調や失敗にいちいち落ち込まず、希望を捨てずにコツコツ毎日小さな努力を積み重ねるしかない・・・のかと(汗)。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.10.17 15:23:37
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