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カテゴリ:音楽スタジオ(スタジオ0724)
あけましておめでとうございます。
本年も私の拙いブログを宜しくお願い申し上げます。 さて、もう65年生きてきて思う事は「やっぱり音楽が好きやなぁ~」です。 朝(ボサノバ、クラシック、ジャズ&フュージョン)~昼(洋楽ロック、ソウル&ディスコ、ラテン系)~夜(ポップス、R&B)までずっと、自律神経(交感神経、副交感神経)の変化に合わせて好みの音楽を何らかの形で1日中聴いています。 何らかの形というのは、リビングで新聞やPC作業や風呂ではブルートゥース・スピーカー、事務所ではミニコンポ、車はカーステレオ、スタジオでのドラム練習はミキサー経由の大音量PAスピーカーです。 これらすべてiphoneのspotifyで用を足してCDは不要ですが、たまにアナログレコードをミキサー経由でAスタジオのJBLスピーカーで聴いています。 また「自律神経に合わせて」というのがポイントで、これによって精神的な安定がもたらされます。 私にとって音楽とは・・・物心ついた4,5歳の頃にステレオからクリスマスソングが流れていました。 当時最先端ビジネスである泉州の地場産業である綿織物業を営んでいましたので、電話もテレビも車も町内で1番早い方だったので、ステレオ(当時は一体型)も早かったのですが、当時はまだ洗濯機や冷蔵庫はなく、自宅前の溝(小川)の隣組の共同洗濯場で洗濯をして氷屋さんから氷を買って木製ボックスに入れて冷蔵していたのです。 日本が戦争に負けてまだ10数年しか経っていない頃でした。 クリスマスソング、三波春夫、鉄砲光三郎、森進一・・・クリソン以降は親父の趣味です。 子供はやはり親の影響をモロに受けるモノで、浪曲も演歌も小学生ながらエエなぁと思っていました・・・(笑)。 それから小学校4、5年頃からビートルズとベンチャーズとグループサウンズ(GS)という「トリプルブーム」が来たのが衝撃でしたねェ・・・(驚)。 この大きなウエーブが子供心にメッチャ響いたのが私の人生にインパクトを与えました。 「演歌よりオモロイやん!」と。 トリプルブームは去りましたが、その影響を受けた歌謡曲や新しいフォークソングや洋楽ロックの「第2波」が1970年前後に押し寄せてきました。 ちょうど小学校高学年から中学生でした。 人生で1番衝撃だったのが、ちょうど中学1年生の夏休みに深夜ラジオ「ヤングリクエスト(ヤンリク)」でシカゴのデビューシングル「Questions 67 and 68 」を初めて聴いた時でした。 「カッコイイ!」の一言で、私の魂を揺さぶりました。 そのブラスサウンズに心を惹かれ、鳳高校オーケストラ部でトランペットを始めました。 本当はブラスバンド部でポップスやジャズ系を吹きたかったのですが、トランペットをしようと思えばクラシック音楽のオケ部しかなかったのです。 クラシックは全く興味はありませんでしたが、トランペットをやるという意思だけは通せたので、先ずはまあまあのスタートという事でしょう。 結果的に後になって考えれば、3年間ドップリ部活でクラシックに浸かり、家ではロックをガンガン聴いて音楽を聴く「吸収力の基礎」を築けてヨカッタのか?・・・と。 その後、色んなジャンルの音楽が好きになったのも、高校時代のロックとクラシックという両極端の音楽を聴いてきたお陰だと思うのです。 ロックだけ、或いはクラシックだけなら、また違った人生を歩んでいて、その先には「スタジオ経営」に繋がらなかったでしょう。 という事で、65歳になっても仕事や趣味に「まだチョッと可能性が残されている?」のは、若い頃の基礎(サラリーマン4年、オケ部+バンド、空手、ウインドサーフィン、英語)がボディブローのように効いてきたのか・・・? 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.01.02 06:38:16
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