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カテゴリ:中小企業の生きる道
先日は25年前に持病の心臓病で亡くなった父親の命日でした。
会社の社長でもあった父親が突然亡くなって・・・早25年経ったのです。 時が経つのは早いというのは、この事を言うのだと思います。 当時私は専務という立場で営業と織物現場をやっているだけでよかったのですが、突然会社の全責任を負う社長(代表取締役)という立場にならざるを得ませんでした・・・(汗)。 お通夜の日にメインバンク担当者から最初に言われた事が「小切手や手形の押している社印の代表者の名前を2週間以内に変更しないと無効になります」という何とも冷徹な言葉です。 悲しむ間もなく、フッと我に返りました。 みんなと一緒に悲しんでいる場合ではないのだ・・・と。 自分は「たった今から」会社の代表者なんだ・・・と。 おそらく後ろを見ると、不安そうな妻子と母親の姿があっただろうと思いますが、私の視界には会社経営しかありませんでした。 泣くのは後にして、これから会社をシッカリさせなければ・・・と意を決しました。 経営を一時的に代われる番頭もいませんでしたので、悲しむ間もなく葬儀の準備をしながら銀行と税理士に相談しながら、社長としての最初の仕事を始めました。 営業と織物現場を完全に把握していましたが、問題は全くタッチしていなかった会社の一番大事な経理です。 チェックライターによる小切手の切り方すら知らなかったのです。 この経理をこなすのにホンと苦労しました・・・(汗)。 中小零細のオーナー企業で、経理を長年同族ではない他人に任せてしまって倒産・・・という例が結構あります。 経営者にとって、経理の数字に弱いというのは致命傷です。 まぁしかし通常の仕事の傍ら、半年掛かって会社の経理全体を自分でどうにかこうにか把握出来るようになりました・・・(汗)。 「経営者が経理も兼ねる」という父親時代からのスタイルをそのまま踏襲し娘にもそのように指導していますが、経理担当を新たに雇うことなく、これまでの自分の仕事に加えてやっていたのですから、時間的にも精神的にもかなり追い込まれていました。 私の肩に一挙に重圧がのし掛かりましたので血圧も上がってしまい、それから降圧剤を飲まざるを得なくなりました。 頼りにしていた人間が死ぬと、こういった様々な変化が起こるのか・・・と(汗)。 父親が亡くなって1年間は仕事以外にもホンと様々な問題がイロイロありましたが、何とかクリアしてきたことが自分の大きな自信となりました。 まぁ文字通り私が厄年の年でしたが、やはり厄って当たるんですねェ・・・ しかし父親と一緒に救急車に乗って病院に着いてから、案外冷静に病院から取引先に「あの糸、予定通りに入ってますか?」なんて電話していた自分に驚きですが、20代の時に4月の強風荒波のマゼという漁師も出漁できない時に、ウインドサーフィンで沖で遭難してしまい、遠くに飛んでいってしまった道具を放って岸に向かって必死に泳ぎながら「これで俺は死ぬんだろうなぁ・・・短い人生イロイロあったなぁ」とイロンナ思い出が走馬灯のように頭を駆け巡り案外冷静だったのを思い出しますが、人間って窮地に陥ると案外落ち着いているモノですねェ・・・ という事で、66歳で亡くなった父親ですが、ちょうど私も同じ年になりましたが、男は早死という家系のジンクスを、100歳まで生き抜いて破りたいと思います・・・(汗)。 そして20代のサラリーマンを辞める時に、懇意にしていた取引先の大手金物問屋のオーナー社長の息子の部長に「家業の織物業に戻るのですが、経営で1番大事なのは何ですか?」と聞くと「経理や、経理が1番大事やで」と言われたのが頭に残っていましたが、それから約40年後の今は、その部長が社長になり売上高も当時の2倍になった好業績を見ると、やはりあの言葉は正解だったのだなぁ・・・と感じます。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.09.10 20:14:26
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