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カテゴリ:ビジネスのアイデア?
織物時代に一瞬で3000万円のアイデアが閃きました。
新工場が稼働した当初は騒音がなかなか止まらず、某大手硝子メーカーの防振事業部に見積もりを依頼すると3000万円という金額に腰を抜かし、自分で考える事にしたのです。 それから2週間ほとんど寝ずにアレコレ試行錯誤を繰り返してうちに、ある時フッと2階フロアに耳を当ていると2階に設置したコンプレッサーが工場全体を揺らす共振だというのを突き止め、その共振を止めるアイデアをフッと大学生の頃のオーディオ小僧時代のスピーカーの下に敷く防振ゴムだとパッと閃いたのです。 言われれば、何だというコロンブスの卵ですが、そのアイデアを捻りだすまで脳ミソが飛び出すほど考えて考え抜いたのです。 これで3000万円を支払わずに済んだのです・・・(汗)。 まぁ3000万円浮いた・・・という事です。 3000万円と言えば、泉州エリアの30坪程度の新築の建売り1軒分の値段か、私立大学医学部の6年間の授業料です。 大きすぎます。 たった一瞬のアイデアが人生を救った・・・と言えます(汗)。 分かりませんねェ・・・世の中って。 遊びも役立つことが大いにあるのです。 商売はアイデアだ・・・とよく言われますが、既存の事を暗記するのが中心の学校の勉強だけではなかなか良いアイデアは浮かびません。 よく遊びよく学びと言われるように、山や海といった自然で遊び、年の上下に関係なく遊び、クラブ活動もやり・・・小学生から極力イロンナ経験をする事が、社会人になってから役立つ場合が多いのです。 インドア派で家にずっといる子供では将来が心配で・・・子供は外に飛び出してナンボです。 バブル前年の1987年に上記のエアージェット織機20台を導入したり新工場を建設した訳ですが、その2年前のプラザ合意から日本は不況のどん底にあったお陰で、それらを相当安く導入できました。 当初は、長年伊藤忠から100%賃織りを受注していましたのでツダコマの代理店でもあった伊藤忠とツダコマを導入する予定でしたが、契約直前でトヨタの代理店から「もう一度考え直して下さい」という申し出があり、その見積もりで織機など付帯設備を含めると他社より30%も安い見積もりでした・・・(驚)。 織機メーカーだけでなく、防振台メーカー、ワインダーメーカー、空調メーカー、検反器メーカー、フォークリフトメーカー・・・新工場建設ですべてを見直しました。 「2本のバックローラーで綾枕(欠点)が出にくい」(ツダコマは1本)という高性能なトヨタで、しかも3割も安い。 これが経営者兼技術者として「トヨタ1択しかない」と決断し、それを父親に伝えて、当時の伊藤忠の織物部隊の課長に親父が取引停止を覚悟で「トヨタを導入します」と報告しに行ったところ、よくできた課長は「よっしゃ!取引は何にも変わらへんよ。機械部隊には俺からチャンと言うから心配せんといて」と言われ、ホッと一息したのを昨日の事のように覚えています・・・(涙)。 やはり長年の取引実績がモノを言い、織機選定まで商社が口を出すのは普通に考えておかしいのです。 同業他社の織屋で伊藤忠と取引をしたばかりに伊藤忠の販売子会社からツダコマを買っても、伊藤忠の繊維部隊とは取引できなかった事がそれを証明しています。 まぁ36年前の当時の状況はツダコマの代理店だった伊藤忠も丸紅も日本最大の織物産地だった貝塚市にターゲットを絞って貝塚市内に販売子会社の営業所を開設して攻勢をかけ、エアージェット織機のシェアはツダコマが90%というトヨタにとっては完全にアウエーだったのですが、弊社がトヨタを導入した事によってトヨタの開発技術者が直接相談に乗ってくれたという大きなメリットもあったのです。 トヨタもエアージェット織機の「変形筬」に関しては後発でしたので焦りがあったのも確かで、貝塚市内にトヨタの営業所がない分、清児のT織布が「世界最先端のトヨタの実験工場」として存在していたり、弊社がN社(枠メーカー)の実験工場として世界最先端の技術を入手していたという事実も大きかったのです。 まぁ織機メーカーは高性能重視でトヨタを選びましたが、フォークリフトは系列のトヨタではなく安いコマツを選び、ちょうど買い替えの時期にきていた父親の新車はセルシオではなく日産シーマに買い替えました・・・(笑)。 何でもかんでもトヨタではないところに、弊社の冷静にモノを見る目があったのか・・・? まぁエアージェット織機1台が1000万円と言われていましたから、どれほど安く買えた事か・・・推して知るべしです。 エアージェット織機導入時に建物とエアージェット織機と付帯設備でトータル○○○○万円節約し、導入してから防音&防振を自分で考えて3000万円も節約し、たった半年で合計○○○○万円もイニシャルコストを抑えたのです。 サラリーマンの平均年収が430万円くらいなので、ある意味、サラリーマンの20年分の年収をアイデアと早い目の決断によって、たった半年で稼いだ・・・と言えるかも知れません。 導入後も20年間、パートも含め10人の従業員で私が現場や営業や経理なども兼務し、年間355日24時間エンドレス稼働で月産20万mも生産してランニングコストも極力抑えました。 商売の基本であるイニシャルコストとランニングコストをキッチリ抑えていたのです。 まぁ私は株は長期保有で売買はしませんが、バブル前年に安くエアージェット織機買って、20年間24時間エンドレスで使い倒してリーマンショックの2年前の北京オリンピックの好景気に沸いていた中国に高く売り抜いたのです・・・(汗)。 結果的に1987年に30%も安く買えたのですが、1988年以降のバブル期に入っても億単位の借金をしていたのは間違いなく、その借金があったからこそバブルで高騰していた土地や株やゴルフ会員に目もくれなかったのが功を奏し、バブルでは一切投資話に乗らなかったというオチまで付きました・・・(笑)。 と言うか、借金だらけで、そんな投資なんていう心の余裕もなかったのです・・・(汗)。 まぁ織物工場の所在地(現トランクルーム)が160年前に2軒隣りの本家から曽祖父が分家した場所なので、天国から先祖が見守ってくれたのか・・・? いずれにしても、今ノンキにこんな回想録を書いていますが、半年タイミングが後ろにズレて(決断が遅ければ)、みんなが一斉に行動に移したバブル期にエアージェット織機を導入していたら、丸きっり違った人生を歩んでいたのです・・・(汗)。 要は経験に基づいた勘とメンタルの強さが必要な決断力で、その決断力が無ければ、そこにはトランクルームも音楽スタジオも・・・ドラムも何もなかったのです。 17年前に織物業からトランクルームに転業という決断ができたのも、36年前のエアージェット織機導入という決断があったからで、それが全てのベースとなって今の自分があるのです。 36年前にたった10%しかシェアがなかったトヨタのエアージェット織機は、今では世界NO1のシェアを誇っているようで、さすがトヨタ・・・という感じです。 という事で、70歳まで「あと3年」ですが、もう一つ何か新しいビジネスを始めるためにも、今の5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、不動産仲介業、月極駐車場、テレワーク室、卓球場)の深耕策のためにも、もう「ひとアイデア」「ひと捻り」が欲しいところです・・・(汗)。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2023.10.16 09:51:03
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