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カテゴリ:だんじり鳴物(和太鼓)
私は小学校低学年の子供の頃から、だんじりに乗って大太鼓(小太鼓、鉦、笛も)を叩いていました。
その頃は切手収集と並んで、和太鼓が私の人生初の趣味だった・・・と言えるかもしれません(笑)。 それから成長するに伴い、世間では1960年代でしたからグループサウンズやベンチャーズやビートルズといった8ビートの新しい音楽が日本でも流行りだし、当然小学生の私も大きく影響を受ける事になりました。 「カッコええなぁ」・・・と。 和太鼓にはないドラムの「ドコドコドン!」というフィルインが頭から離れず、それが大太鼓を含めた「だんじり鳴物」のアンサンブルにも影響を与えました。 1960年代後半の中学入学から本格的に洋楽ロックに目覚め、高校生になってからはブラスロックのシカゴの影響でオーケストラ部でトランペットを始める一方で、だんじり鳴物では駆け足4番の頭の中のイメージは明らかにディープパープルの「BURN」か「HIGHWAY STAR」になってしまいました・・・(笑)。 そう、1970代前半のハードロックの影響を強く受けたのです。 学校ではニニ・ロッソのようにクラシックのトランペットを吹きながら、自宅の防音性のある蔵ではガンガンロックを聴き、だんじり祭りではドコドコドコとイアン・ペイスのような雷太鼓を叩いていたのです・・・(笑)。 他人が見たら支離滅裂な行動かも知れませんが、本人はいたって真面目なのです。 どれか1つに絞るなんて、満ち溢れる青春パワーをイロイロと好きな事にぶつけないと、逆に勿体ないですしストレスが溜まります。 家業が織物業でしたので工場の手伝いをしなければなりませんでしたが、経済的にも時間的にもそんな自由を許してくれた親に感謝しかないですねェ・・・ まぁ元々バンドでいうアドリブ中心のリードギターと同じで、大太鼓の演奏は自由が基本なのです。 当時はそれほど岸和田スタイルに影響されることは余りなく、だからどう叩こうが自由だったのです。 中学高校の多感な時期の経験は人生に大きく影響を及ぼす・・・というのが、今自分が音楽(バンド)スタジオを経営しながら、和太鼓も導入という前人未踏の行動をとった事がそれを証明しています・・・(笑)。 という事で、駆け足4番の刻みが早いと、大屋根で踊っている大工方から踊りにくいとクレームが出そうでしたが、曳き子は盛り上がっていましたねェ・・・(笑)。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」 「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.12.02 07:50:30
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