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カテゴリ:中小企業の生きる道
織物業をやっている時に比べて、今は10分の1くらいの労力しか要りません。
まるで毎日が遊んでいるようで罪悪感を覚えます。 というのは、17年前まで20年間355日24時間エンドレス稼働の織物工場を営んでいると、トランクルームというサービス業に転業してからずっと「遊んでいるような罪悪感」があります。 私と同じように製造業出身者がサービス業に転じると、同じような感じを抱くのでは・・・? 製造業(織物業)では寸分を惜しんで工場(織機)の稼働率を1%でも上げる努力をしたりカイゼンと称して少しでも機械や設備の工夫をしたり、毎週金曜日は朝から夕方まで営業で大阪船場を駆けずり回っていましたので、サービス業(トランクルーム業)では客を待っている暇な時間が多いのがそう感じさせるのでしょう。 なので、織機稼働率が常に90%以上をキープしていたのを考えると、トランクルーム内に8年前から始めた音楽スタジオを泉州最大級の4室も作ってしまい、その低い稼働率が気になって仕方がないのです・・・(笑)。 もう今はベビー服チェーンの西松屋のような「ガラガラ経営」でもイイかなぁ・・・と諦めていますが(笑)。 まぁ転業当初は仕事の内容が変わって、ココまで落差があるのかと戸惑いましたが、1年くらいで慣れてしまいましたが、未だに違和感みたいなモノが残っているのです・・・(汗)。 そりゃそうです。 子供の頃から換算すると、40年も家業の織屋をやっていたのですから。 特に大学時代のシャットル織機時代は機械化が進んでおらず人力に頼るのが殆どで、荷作りも縄のロープを鎌で切る事から始め、鉄製の5,60㎏もあった空ビームを肩に乗せて1本運ぶだけでも真冬でも一瞬で汗が噴き出たのを懐かしく思い出します。 そんな過酷な肉体労働の積み重ねもあって、40年後に脊柱管狭窄症の手術をした訳ですが・・・(汗)。 しかし貝塚市から岬町までの織物業者だけで680社もありましたが(泉佐野のタオルや泉大津の毛布や岸和田以北の織物業者は別勘定で)、98%が倒産廃業してしまいましたが、弊社のように幸い?「廃業」できても工場跡地を売却したり貸したりする程度で、弊社のように業者を一切アテにせずに自社独自でサービス事業などを始めたところが殆どないところを見ると、やはり製造業からサービス業への転換に「落差」や「違和感」が壁になっているのか・・・? という事で、17年前まで多品種小ロット生産の月産20万mの織物業を営んできて、「来月の商売が未だに決まっていない」というのが毎日の悩みの種で、借金もありましたので24時間いつも心配していた感がありましたが、肉体労働が主だったので夜は案外熟睡できていたのがせめてもの救いでした・・・(汗)。 とにかく早出の工員(機織り)、つなぎ(タイイング)、品種替え(縦替え)、織機の修理と改造、織物設計、筬の発注、織機の調整、検反、設備機械(電気、コンプレッサー、空調)の管理、荷作り、フォークリフト運転、営業、銀行交渉、パソコンによる業務管理、仕入れ、部品発注、サイジングの値段交渉と発注、経通し段取り、経理、受け渡し(糸と織物)、人事労務、従業員の送迎・・・これらを全て熟していましたので、ゴルフやロータリークラブや商工会議所に行ってるヒマもなく忙しすぎました(汗)。 ウインドサーフィンとジムだけは少しのヒマを見つけては通っていましたが・・・(汗)。 まぁ今は無借金経営でトランクルームという割と安定した収益体制ですが、それがラクすぎて逆に「これでイイのか?」と心配になります・・・(笑)。 いずれにしても、今の余裕の仕事スタイルなら75歳まで今のスタイルを貫き、75歳からは午前中だけ仕事をして午後からはフリーになり、昼からのんびりマーブルビーチにウインドサーフィン行ったり、ビールを飲みながら地元泉州だけでなく大阪市内や和歌山市内のバーやライブハウス巡り・・・なんて(笑)。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」 「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.01.07 14:21:49
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