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カテゴリ:音楽スタジオ(スタジオ0724)
今でも忘れもしません。
55年前の中学1年の夏休みに、深夜ラジオから流れる「カッコイイ曲」にハッとしました。 「なんや?この曲は」・・・と。 それはブラスロックグループ「シカゴ」の”Questions 67 & 68”でした。 55年も前のこの曲に、13歳だった私のココロが大きく揺れ動かされました。 感動に年齢は関係ありませんし、あとになって考えれば「感動したコト」があるだけでも幸せです。 これが以降の私の人生に、ジワジワと影響を及ぼしたのは言うまでもありません。 先ずは高校生になって、オーケストラ部に入ってトランペットを始めました。 最初は運動部に入って女の子にモテようとチョッとだけラグビー部に入っていたのですが、土のグランドでのタックルで身体がケガだらけになり「こりゃダメだ」と180度転換したのです・・・(汗)。 残念ながら、当時ブラスバンドや軽音楽部がなくトランペットをしようと思えばオケ部しかなかったのです。 行動は早いです。 これで私の願望が50%叶えられました。 放課後はオケ部のクラシック三昧、自宅ではロックのシカゴ・・・両極端の音楽を多感な高校時代に浸かっていた事が、私の音楽ライフを幅広くして59歳で音楽(バンド)スタジオ起業に結び付いたのかも知れません。 と言うか、当時の鳳高校は激しかった学生運動が完全に収束した直後で、学内には自由な雰囲気が満ち溢れ、そこら中でフォークギターが鳴り響き、オケ部からN先輩が「これからはジャズロックや!」と飛び出して前衛的な音楽愛好会を結成して、シカゴやキャロルのコピーをやり出しても音楽の声楽の先生も「キャーキャー」応援するくらいイロンナジャンルの音楽に対して寛容な学内の雰囲気だったのです。 学園祭とは別にも和泉市民会館を貸し切って、部活に関係なくクラシック、声楽、オペラ、フォーク、コーラス、ロック・・・と誰でも出演できる「音楽祭」も開催していました。 丸坊主で校則でがんじがらめだった中学生から一転して、学業は低空飛行でしたが何をやっても許される自由を謳歌できた高校時代が私にとってかけがえのないモノでした 今ならYOUTUBEやテレビで海外アーティストの動画をバンバン見れますが、私の中学時代は全く見れなかったのです。 ラジオで聴いてレコード屋で買ってジャケットを見て「これがあのグループか!」と感動したものです。 アーティストが演奏する動画を見るなんて、夢のまた夢でした。 「一体どんなファッションで?どんな楽器で演奏しているのか???」と妄想を掻き立てました・・・(笑)。 特に私は当時からドラムに興味があり、「どんなチューニングで、そんなカッコええスネアの音を出しているのか?」と知りたくて知りたくて・・・ 1970年代前半の日本のミュージックシーンなんて、そんなモノでした。 ちょうど、それから10年経った1980年頃にウインドサーフィンを始めた頃に、まだサーファー艇でのジャイブを誰も出来なかった頃にウインド発祥のアメリカやハワイのビデオを食い入るように見てテクニックを盗もうとしたのとよく似ています・・・(笑)。 当時はまだダガーボードの有るストラップのないウインドサーファー艇という全長365㎝もあるロングボードしかなく、ジャイブ(風下方向転換)と言えば、フィンが小さい分ボードのアウトレイルをかませてセイルコントロールでフレアジャイブするしかなかったのです。 なので、当時の中高生だった今の60代は想像力は逞しいのかも・・・? もちろん当時の日本の音楽業界は歌謡曲や演歌が全盛でしたから、テレビでは毎週そんな番組をやっていましたが、深夜音楽番組でバンバン掛かっている洋楽ロックにゾッコンの音楽に敏感な中高生にとってはそんな歌謡曲は全く興味はありませんでした。 しかし1970年前半当時は共産主義や社会主義国だった旧ソ連や東欧や中国や韓国は欧米のロックは全く遮断されていましたので、当時の日本は洋楽ロックが自由に聴けた時代でしたので、すごく恵まれていたのです。 特に大阪在住の特権でチョッと足を延ばして心斎橋のヤマハに行けば、まだ日本未発売の世界最先端の輸入レコードを聴けたのです。 10年くらい前にマーブルビーチでウインドサーフィンをしていると、ビーチから中国人らしきオッサンが私に向かって何か叫んでいるので、ビーチに戻って「なんか言いたいんか?」と連れ合いの日本語ができる中国人青年に通訳してもらうと「何で私のような年齢の日本のジイサンが、若者のウインドサーフィンをやっているのか不思議だ」と言っているらしいのです。 「日本は戦後60年は自由主義国で自由にスポーツや音楽をやったり聴けたんや。あんたら中国は共産主義やからそんな自由がなかっただけや。だから同じ60歳のジイサンでも中国人と日本人は全然違うんや」と説明すると、そそくさと逃げていきました・・・(笑)。 そう日本の60歳以上には、過去の経験したマリンスポーツ(サーフィン、ウインドサーフィン、ジェットスキー)やウインタースポーツ(スキー、スノーボード)や音楽という巨大なマーケットがあったのです。 昔から共産国や社会主義国だった国には存在しませんが、昔から自由主義国だった日本にはあるシニアの回顧マーケットというヤツです。 という事で、そんな音楽的に恵まれた中学時代を過ごしたお陰で、それ以降「50年以上も毎日ロックを聴き」もう私の身体はの中にはロックのDNAが浸み込んでいるのかも知れません・・・(笑)。 9月24日の久しぶりのシカゴの大阪公演のチケットを取ろうと思ったら、もう2階の奥の席しかなかったので、再度本番1週間前に奇跡を祈って取り直します・・・(汗)。 51年前の地下鉄を一人で乗った事のない高2の私は、親に黙って難波から一人で1時間も迷いながら歩いて厚生年金会館までシカゴのチケットを買いにいき、そしてライブ当日は人生がひっくり返るほど感動したことを昨日の事のように覚えています・・・ そんな10代の感動の100分の1でも今年のライブで経験できたら・・・と(笑)。 まぁしかし、オリジナルメンバーが3人に減ったとはいえ57年も一度も解散することなく続いているバンドは、他にローリングストーンズくらいでしょうか・・・? アメリカを中心に世界中で売れっ子だった1970年代前半のシカゴの来日公演でわざわざ「日本語バージョン」を歌ったという事は、世界中の自由主義国で人口が1億人を超えていたのはアメリカと日本だけだったので、ソコに潜在需要を見出したというバンドのマーケティング力が長寿バンドを生み出したのかも知れません。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」 「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.08.04 15:52:54
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