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カテゴリ:中小企業の生きる道
私は株に関してアレコレ考えるのが面倒くさく、長期保有だけで一切売買はしませんし興味もありません。
しかし私の人生に於いて、最大の株の売買みたいな勝負に勝ちました。 安く買って、高く売り抜いたのです。 それは株ではなく、織物業時代の織物工場の1台1000万円のエアージェット織機20台とそれに付随する設備一式機械です。 エアージェット織機の性能を100%活かすために新工場(現在のトランクルーム貝塚「本館」)まで建設しましたので、その建設資金までもバブル期に比べて30%ほど安くできて万々歳・・・という事になりますが、当時プラザ合意後の円高不況の真っ最中でその先の景気の動向は全く分からないという状況だったのです(汗)。 それでもサラリーマンを辞めて2年目で、小さな子供2人抱えて今更サラリーマンに戻る訳にもいかず「行こう!」と決断したのです。 確かにイチかバチか・・・という決断でしたが、当時繊維業界で1セット30万円以上もする高級羽毛布団ブームの兆しが見え始め、弊社がエアージェット織機を導入したらそのシャットル織機では織れない高密度織物の側地生産(後にダウンプルーフ加工)を伊藤忠から大量に注文が来るのが分かっていました。 しかし、まさかエアージェット織機導入の翌年から空前の好景気に沸くバブル期に突入するなんて、夢にも思いませんでした。 ウインドサーフィンで順風に乗っていたのが後ろから波が来て、それにも乗ってスピードに恐ろしく加速度がついた・・・という感じです。 バブル前年の1987年にシェアが10%しかなかったトヨタのエアージェット織機を安く買い叩き、北京オリンピックの2年前(2006年)の好景気に沸いていた中国に20年間355日24時間エンドレス稼働で使い倒したボロボロのエアージェット織機を高値で転売したのです。 北京オリンピックとリーマンショックは2008年の同じ年です。 運が良かった・・・と言えばそれまでの話ですが、新品の最新鋭エアージェット織機と新工場建設で3割安く買って(建て)、20年間使い倒した中古織機を高値で売却となると〇〇〇〇万円も得した計算になり、単なる株の売買差益と金額が何桁も違い、個人保証もして自分の首や家族の生活も懸かっていましたので、絶対に「この勝負」に負ける訳にはいかなかったのです(汗)。 多くの同業他社のようにバブル突入の1988年以降にエアージェット織機を導入したらイニシャルコストが30%上がり、あと2年無理して頑張っていたらリーマンショックの渦に飲み込まれて中古のエアージェット織機なんて売れなかったでしょう・・・(汗)。 たった半年か1年早かっただけで命拾いしたのです・・・(汗)。 不景気に他社ができない設備投資をして、翌年のバブル期には順調な織物生産体制に入っていましたので、他社より2歩も3歩も先に進んでいましたので機械の償却も早く、20年後には借金ゼロという状況だったのです。 人より早く動く・・・というのがポイントで、陸上競技のようにビジネスにはフライイングというのはありませんし、早すぎて失敗するケースもあり難しいところですが、早い者勝ち的なケースが多々あります。 学校教育のように横並び志向が染みついてしまい横の人が動いたから動くという半歩遅れでは、何をヤッテも成功しません。 まぁ何か経営者の勘みたいなモノが働いたのだろう・・・と自分では思っているのです。 運や勘は学校では学ばないところが現実のビジネスの難しいところでもありますが、私のような二流大学しか出ていない人間にとってチャンスなのです・・・(笑)。 試験のように学校で習った事で世間を渡れるなら誰も苦労しませんしノイローゼになる人も激減するでしょう。 考えてみれば1979年夏に始めたウインドサーフィンもそうで、翌年からくらいからボチボチ流行り出し2年後には世界的に大流行しましたが、これも早く始めたからこそ大学に学連加盟のウインドサーフィン同好会を創部でき、関西学連の創設メンバーになり、全日本選手権にも出場できて、創部者として学内外との交渉やレース運営のスポンサーとの交渉など創部者でしかできない貴重な経験がその後の私の人生に大いにプラスになりました。 大学ウインドサーフィン同好会の創部の経験は今思うと「起業の予行演習」みたいなもので、それが20数年後のトランクルーム(不動産仲介業、音楽スタジオ、レンタル自習室、卓球場)起業に役立ったのは言うまでもありません。 まぁこれが1年遅れていたら、同好会も誰かが先に作ったでしょうし、全日本選手権も関西予選を勝ち抜くことすら困難だったでしょう。 そんなラッキー以外何物でもない何億円も掛かったエアージェット織機の購入と売却が上手くいき、銀行に借金も全額返済して身軽になったからこそ、その後トランクルームにスムーズに転業出来て・・・今があるのです。 すべて連なっていて、1つでもこけていたら、歴史はひっくり返っていたか下方修正を迫られていたでしょう・・・(汗)。 という事で、ちょうど1985年のプラザ合意による円高不況の時にサラリーマンから帰ってきて直ぐに親戚のエアージェット工場の現場で半年間タダ働きをして、「エアージェット織機まだまだだなぁ~(開発途上)」と感じ、浜松の廃業した織屋の中古のユニフル付自動織機(SOHC)30台導入してから織機の神様と言われていた清児の中野織布の工場長と森の鉄工所でたまたま偶然にも知り合って仲良くなり、教えてもらった改造ノウハウを1日1台づつ鉄工所に持っていって改造しましたが、結局「しょせん中古」という結論に達し、結局その2年後に最新鋭エアージェット織機の導入を決断したのです。 やっぱり中古織機というのは長年のクセがついており、それを直すのは不可能と判断したのです。 まるで人間と同じです・・・(笑)。 まぁしかしエアージェット織機導入当初に末端価格が30万円以上の羽毛布団の側地生産を他社に先駆けて織っていましたが、そのうち屋内の同業者も参入しだし、更に中国からの輸入品も激増した結果、末端価格が1万円になってしまったので織工賃が全くでない状況になって国内生産がゼロになった経験を通じて、やはりエンドユーザー価格が高い商品(他社が参入できないモノ)を狙わないとダメというのを痛感しました。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」 「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.10.11 09:33:18
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