ビラボン(サーフパンツ)で「マスク」作りました
本日の日経新聞に「マスクや防護服 各国が輸出規制」という記事が掲載されていました。グローバル化が進み過ぎて、繊維産業のような軽工業はとっくの昔に後進国に移管されてしまった現実の、ある意味しっぺ返しです。事実、大阪泉州の地場産業であった綿織物製造業者は50年前と比べて98%減です(貝塚市から岬町まで680社から15社に激減)。今我々日本人にできる事は、大変な状況で働かれている医療従事者の方々にマスクを1枚でも多く渡すためにも、家庭で自家製のマスクを作る事だと思います。そう意味で、先日から家内に頼んで孫用からファミリーのマスクを作ってもらっているのです。そして、今回は私のマスクの番です。ビラボンと言えば、オーストラリア発の世界中で大人気のサーブランドです。もうかれこれ40年以上もウインドサーフィンをやっていると、海パン(サーフトランクス)を沢山持っています。これまで海パンを累計で軽く30枚くらいは買ったでしょうか。ライトニングボルトから始まり、タウン&カントリー、オニール、ハーレー、オフショア―、マンボ、オーシャンパシフィック、クイックシルバー、ビラボン・・・色んなブランドの海パンを買いましたが、ここ数年はビラボンばかりです。年齢を重ねると、体形が変わって太るようになり、ウエストが合わなくなり履かない海パンが増えました。その為最近は、ゴムウエストばかりですが・・・(笑)。そこで今回、捨てるのも勿体ないので家内に頼んでマスクの生地に履かなくなった海パンを再利用する事にしたのです。孫用を先に作って、私のはもちろん後回しです・・・(笑)。今回マスクに内側には、キッチンペーパーが入るような細工をしてくれました。という事で、ウインドサーフィンも長くしていると海パンもそうですが、道具も沢山買ってきました。過去40年間で、ボード20本、セイル30枚、マスト15本、ブーム10本くらいは投資したでしょうか・・・累計で何百万円にもなりますが、それよりも青春の貴重な時間を費やした時間も恐ろしく長い・・・40年間でレース(ローカル、全日本)、大学同好会創部、学連加盟、道具の恐ろしい進化、樽井浜、二色浜、脇浜、マーブルビーチ、片男波、浜の宮、サイパン、グアム、石垣島、恋愛、海での遭難、仲間、海での怪我、ファミリーで和歌山の海へ・・・イロンナウインドサーフィンの思い出が私の身体の中に沁み込んでいます。当時は時間も金も気持ちも全てウインドに捧げ、「青春を犠牲にしているかも・・・? もっと他にする事はないのか・・・?」と悩んだりもしましたが、今となっては熱中できるものがあったと、そして未だに続けている事に感謝しています・・・(涙)。41年前に泉南樽井浜でウインドを始め、その後結婚してから拠点を地元の二色浜に移し、ここ10数年は道具を運ぶのがシンドイので駐車場からビーチまで近い関空前のマーブルビーチで楽しんでいます。しかし残念ながら再利用できたのはこの海パンくらいで、あとは結局大半は人に無償であげたり捨ててしまいました・・・(涙)。イヤ、思い出が沢山残っているのが、それが大きな大きな財産だったのです・・・(涙)。しかし、このマスクちょっと派手かな・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」「貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ