クローズアップ「現代」
いったい、この一週間でどれだけの活字を読んだだろう? 最近では300ページぐらいの文庫本を一日で読んでしまうことが苦ではなくなってしまった。 今、僕が読んでいるのは村上春樹、村上龍に阿部和重といった最近のものだ(両村上氏にしても最近のものというくくりはどうかと思うが、なんせ以前が、漱石、太宰、三島それにフィッツジェラルドなんかだったから、、、)。 この変化は僕の中で以前にも増して「現代」というものに対しての興味が大きくなっているからである。 「近代」作家たちはとても素晴らしいと思うが、そこからしか何かを得ることができないというのは、今を生きている自分にとってはあまりにも悲しい。 そこで「現代」作家ってどうなのよってことで、しばらくは現代作家を中心に読み漁ろうと思う。 それに、明治や大正時代のことだと想像はできるけど実感を伴っててのはなかなか難しい。 僕が生まれてたわけではないけれど1970年代ぐらいの文化って今でも感じちゃうことってできちゃうから。 あとは、明治の殉死よりも今の時代の自殺のほうが多少つかみやすいし。 要はしっかりしたその時代に対しての知識がないと、なかなかその時代の小説って100パーセント味わうことって難しい。 なにせそんな知識のない僕だから漱石や太宰の小説ってわからないところが結構あって、、、それにも関わらず僕が彼らの作品に惹かれるのはこういうことだ。 時代が変わっても僕たちの感性の根本はそんなに変化するものではない。 僕が今でもホワイトアルバムを聞くように時代が変わっても美しいものは風化することがない。 ショパンやらベートーベンが21世紀になっても愛されているのもそういったことからじゃないのか? 彼らは25世紀、30世紀になっても愛され続けるはずだ。 僕は「現代」に期待する。 前記した通りそうでなくてはあまりにも悲しいしつまらない。 「現代」の小説家でも音楽家でも後世に名を残す人物が必ずいるはずだ、いや、いてくれなくては困る。 あとは彼らを見つけ出すことができるかというこっちの問題。 というわけで、日々黙々と感性を磨き続けるデヒデであります。 おおおおおおおおおおおおおお、わしの感性は30世紀になっても通用するんじゃあああああ!------------------------------------- んんんん、、、当初の予定とかなりずれたなあ、、、現代小説中心にまとめようとしたんだけどあっちこっち飛んでしまった。 デヒデの文章力はまだまだであると痛感。 これからはなるべく日記書くようにしよう。