カテゴリ:ドラゴンズ
最近読んだ野球関係の本で一番面白かったのがこれ。
ロッテ~中日で活躍した愛甲猛の『球界の野良犬』(2009年/宝島社)。 ドラマになりそうなくらいはちゃめちゃな中学・高校時代、波乱万丈の野球選手時代、そして引退後の数々の騒動の内幕…。面白くて一気に読んでしまいました。結構やばいことやドロドロしたことも包み隠さず書いているので、出てくる当事者の中には冷や汗をかく人も多いのでは…と他人事ながら心配になります(苦笑)。 個人的には、もう少し中日時代のことを書いて欲しかったな~とは思います。でも、1999年の中日優勝時の祝勝会場で、ドーピングによる副作用の痛みに苦しんでいたことなど、今だからこそ語れるエピソードなどもあり、かつて愛甲のファンだった自分には大変興味深い内容でした。 愛甲ファン…。そう、'99年当時、自分は愛甲を熱烈に応援していたのでした。この話は過去、ブログにはあまり書いてなかったかな…。 自分が'99年の優勝メンバーに一際思い入れが強いことは過去記事でも何度か書いてきましたが、昔から一芸に秀でた職人的な選手が好きだった自分は、この当時は代走・守備固めの大西、内野の守護神と言われた久慈、俊足の李鍾範、そして代打の切り札・愛甲を応援していたのでした。 久慈や李は移籍してきた前年から応援していましたが、この年、驚異的な代打成功率を残していた愛甲は、正直'99年は中日の選手の中では誰より一番応援していたと思います。 当時、一緒に観戦に行ったりしていた中日ファンの仲間内で、好きな選手の名前を入れた千社札シールを作って仕事のヘルメットに貼っていたのですが、自分は当然「愛甲猛」と入った千社札を貼っていました(笑)。そのくらい好きだったんです。 ちなみに愛甲は翌2000年を最後に引退してしまいますが(このあたりの経緯も本書に書かれていますが、薬でもう体がボロボロだったようです)、その後数年、ドラゴンズは「代打の切り札」と呼べるような選手が出て来ず、苦しむことになります。 2004年になって高橋光信(現・阪神)が代打の切り札に定着した時、「やっと愛甲の後継者が出て来た!」と喜び、そのまま光信ファンになったのは前ブログ(と久慈記)にある通りです。 '99~'00年当時はまだ球場でユニを着る習慣がなかったので愛甲ユニは持っていませんが、この当時に今の自分がいたら間違いなく愛甲のプロモデルを作っていたでしょうね(笑)。 '99年の優勝当時、愛甲が残した名言に「代打は控えじゃない」というのがありました。これは、「代打はスタメンで出られない選手がやるもの、というのではなく、スタメン同様に一つのポジションなんだ」という意味ですが、ドラゴンズ時代の光信、そして昨年の立浪はまさにそんな感じでした。 現在、ドラゴンズのこの「控えじゃない代打」のポジションは空席になっています。 これから先、ドラゴンズに代打の切り札と呼ばれるような選手は出てくるんでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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