あるいは段ボールでいっぱいの部屋。
ここんとこ本格的な荷造りを絶賛続行中。アチコチから段ボール箱をもらってきては本、CD、衣類、食器、雑貨などを詰めているワケだがその過程でアレもコレも、バンバン捨てまくってるはずなのに想像以上に段ボール箱の山が出来上がっちゃってるのは一体どーゆーワケか。荷物が減って、家具も減ってそれ以上の量の段ボール箱に浸食されつつある。どこかで時空がねじれているとしか思えない。でなければ巨大な力が働いているのかもしれない。昨日、近くのリサイクルショップに来てもらって・家具の一部を処分した。・本棚×2・チェスト(組み立て家具)×2・透明カラーボックス×1・スリッパ立て×1計)1,000円ま、そんなもんか。コタツとコタツ布団は「季節じゃないから」と引き取ってもらえなかった。なるほど、リサイクル屋さんも在庫をなるべく抱え込みたくないワケだ。どう考えても新居には持ち込めないので大型ゴミとして処分するよりしょうがない。家具の処分は第二弾が予定されていて収納ケース2本と電器ストーブ(?)ハロゲンの扇風機みたいなアレ。あとは、スチール製の収納ラックで小さいのを「どうしよっかな?」って悩んでる中。たぶん、それを入れたとしてもやっぱり1,000円くらいなんだろな。金額にこだわりがあるわけじゃなくて処分がしたいだけだから、いくらでもいいのだけど。あとは、本とCDの処分がひと山残っててこれはブックオフに持っていくつもり。多分、これが済んだら荷造りは、ほぼ完成となる(はず)。今朝は名古屋時代から持ち込んだ古いスーツ何着かをはじめ衣類をサンタが持ち歩いてる袋サイズで2つ捨てた。何となく自動的に新居に持ち込もうとしていたこれまた名古屋時代からのビデオテープも夕べ捨てる決心がついた。遊星からの物体Xは、この3年間ついに見なかった。この先も見ないはずなのだ。「あるけど使わない生活」と「ないので使わない生活」は表向きは同じだろうけど、「それが必要になった時」に考えればいいのだ。そしてたぶん、その時はきっと来ない。捨てることは気持ちがいい。不用意に段ボールが増えるのはナットクできないけど。