カテゴリ:心
僕自身がいつもとらわれないように心掛けている心。
『 排他心 』 自分の考えに合わない、受け入れられない人間を排除、攻撃 しようとする本能。 悩んでいる人ほど、寂しい想いに苦しんでいる人ほど、 コンプレックスのある人ほど、宗教やある種の精神的団体に 入りやすい。 そしてどの団体も精神的なエクスタシーを感じたり、新しい 知識を学ぶことによって得られる満足感。自信。学べば学ぶ ほど使命感を感じるようになる教義を持っている。 ここまでは問題ない。けどこの先が重要だ。 その立派な教義の中には、「自分達が最高だ!ここにしか真理は 無く、他のものはレベルが低い、もしくは邪教だ! 自分達は選ばれた人間だ!」 という心が知らず知らず育つ要素が、盛り込まれていることが あるのだ。 そうなると、気に入らない馴染みのない考えや意見を聞くと、 反射的にムカついたり、攻撃せずにはいられない人間になって いってしまう可能性が多いにある。 さらに進むとその排他心に疑問すら湧かなくなり、正しい道を 歩む者の当然の心だと信じるようになる。 そうなってしまうと自分自身はより高い次元の人間へと成長して いるつもりでも、現実の社会生活で出会い、関わる人達を尊敬し 尊重する心が薄れていってしまう。 自覚症状としては、学べば学ぶほど街行く人達がくだらない考え を持った価値のない人間に見えてきたり。事業や商売に生きがいを 感じ一生懸命生きている人達が、まるで欲望だけの動物のように しか見えなくなっていく。 事業や商売をやっている人の想いなど想像もできない、理解しよう とも思えない幅の狭い心になっていってしまうのだ。 そうなると平和は無くなっていくだろう。 現実には世界中の人が全く同じ宗教や哲学、考え方、価値観で 統一されるなんてことは不可能に近い。 実現させようとすれば戦争や喧嘩が世界中で起こるだろう。 今大切なのは、たくさんの宗教があり、数えきれないほど たくさんの人生があり、考え方があるという現実を受け入れて いくことじゃないだろうか。 悪をも認めろと言ってるんじゃなく。 価値観や宗教が違っていても、世界を明るくしたいと願っている 人はいっぱいいると想うんだ。 みんながそれぞれ、無宗教の人は無宗教なりにしっかりと価値観 を持ち、哲学や宗教を信じている人は他人に押し付けることなく、 互いに尊重しながら生活していくことが平和への道だと感じる んです。 一人の無宗教の病人を、キリスト教徒、イスラム教徒、仏教徒、 その他それぞれの考えを持つ人達で、真心込めて看病する時代が くれば素晴らしいなと。 ディッキーは勝手に想うんです。 最後まで読んでくれたあなたに、いいことがたくさんありますように パワーストーンブレス大好きディッキーより バラティエ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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