畸形のカエル
以前、蛙を飼育していたことがある。たまたま遊びに出掛けた山中で捕獲した,何のヘンテツもないヒキガエルの子供なのだけど大きさにして約4センチ足らずのミニサイズであるにも関わらず生意気にも親と相変わらぬ容姿をしておりそのミスマッチなところが妙に面白くまた米粒程にも満たないと思われる小さな脳ミソで、物事を考え感情豊かに語りかけてくるなどあろう筈も無いのだけれど愛嬌溢れるその顔を眺めていると何だか物言いた気に見詰められている様な気分になり、思わず「ん?どした?元気か?よちよち」などと幼児言葉で声をかけ人前で公表するのはちょっと憚られる様な変テコな名前を付け、非常に可愛がったものである。しかし、こういった小さな生き物ことに育ち盛りの幼体ともなるとその食欲たるや小さな身体からは想像もつかぬ程旺盛で湿度管理だの細心の注意をはらってコマメに世話をしてやらなければならない。私も暇さえあれば近所の公園や空地に出掛けダンゴムシ、ヨコバイ、コオロギ等、小型の昆虫を餌として調達し充分な管理を施していたつもりだったのだけれど「大丈夫だろう」と、留守にした盆休みの数日の間に床材が乾燥してしまい、干からびて死んでしまった。天敵多しと言えども、あの山道で自分に出会いさえしなければ少なくとも雄大なる大自然の中、食いたいものを食らい自由気ままに跳ね回り、立派な大人に成長できたかもしれない。「ごめんよぉ、ごめんな」私は、その変わり果てた亡骸に詫び自責の念にかられ、身勝手で我利我利な自分を呪いながら自宅向かいの畑(他人の畑)の片隅に墓を拵えて弔い以後こういった生き物は飼うまい、と心に誓った。しかしながら、自分の意志が弱いのか出会いはあるもので、現在我が家には、一匹のヤモリがいる。もっとも、今の時期は寒さの為、冬眠状態にあり飼育ケース内が乾燥せぬ様、時折水を与えるのみとなっているがこいつがまた可愛い。名前を付けると情が移り、いずれ訪れるであろう別れが辛くなるという経験上の理由から飼育を始めておよそ9ヶ月経過した現在も、名無しのままである。しかし情の移る移らないに、名前の有無は関係無い様でやはり可愛くて仕方無い。「よちよち」ところで、私が時折顔を出す爬虫類専門店には一匹の奇形の蛙がいる。そいつは本来、当たり前に備わっている二対の手足の他に身体胸の丁度真ん中辺りから長く立派な手が生えている。価格は応談となっているがこれに対し「気持ち悪い」と目を背けるか珍奇稀なる貴重なものとして捉えるかその価値の程は見る人の心持ち次第。上から下まで様々であろう。私の場合、これは非常に興味深く長時間居座って観察したい位である。まぁ、他と多少形は違えど、彼も生きているわけで命の価値は値段で表記出来るものではないとは思うのだが。以前、小学生の頃、自宅近所の水田にて片目のアマガエルを捕獲したことがある。片目と言っても丹下左膳の様な類いではなく本来、目が存在する筈の場所にはその痕跡すら無く全くもって平坦であり、他の部位と変わらぬ緑の外皮で覆われている。所謂、生まれついての片目である。私は当時、クラスの担任であった若い男性教諭イトウ先生(仮名)にこれを見せよう、と小型水槽に入れてはみたのだけれど、折しも夏休みであり彼に見せる為には、長期飼育を強いられるわけで当時知識の乏しい子供であった事と、その容姿の不気味さも相俟って飼育を断念し、捕獲した元の水田に返したのである。私は他にも双頭の蛇などを目撃したことがあるがこの厳しい自然の中、ハンデを乗り越え逞しく生きる彼らの姿に敬意を評し、絶大なる拍手を贈りたく思う次第である。テケテンテンテンテン・・・さあ、さあ、さあ、お代は見てのお帰りだよ~。今回、本文中に一部不適切な表現、描写が含まれました事をこの場をお借りしてお詫び申し上げます。ランキング押してね!