【海外 3】 リトアニア・・・杉原千畝氏について。
初海外旅行のリトアニアで、行ったのが カウナス・・・旧日本領事館旧日本領事館 ここにはかつて、「日本のシンドラー」と呼ばれた、杉原千畝氏(1900-1986)が領事代理として住んでいました。 彼は、第2次世界大戦中(1940年7月-9月)ナチスの虐殺から逃れるため、ポーランドから逃げ延びてきた多くのユダヤ人のため、日本通過のためのビザを、日本政府の意向に背き書き続けた人です。 記録に残っているだけで、2139枚。記録をとらなくなってからも数千枚を書き、そのため、命を救われたユダヤ人は6000人に及ぶといわれます。 このことは、杉原千畝氏の奥様(杉原幸子氏)が書かれた ドラマにもなったりしていますので、知っている方も居られるでしょう。興味のある方は、読んでみてください。 僕が行ったときに領事館の説明をしてくださったのが、このおばあちゃんです。 このおばあちゃんは、杉原千畝氏のまかないをやっていた家族の娘さんで、ビザを発給した当時から、ずっとこの場所に住んでおられる方です。ビザの発給をリアルタイムで経験した方です。 僕が行った1998年はお元気で、涙を流しながら「またきてくださいね」と言って、しっかり握手をしてくださったことが今でも思い起こされます。しかし、数年前に亡くなったと聞きます。本当に残念です。もう一度、元気なお姿を拝見したかったと思ったのに・・・。 旧領事館の壁には、このような銘板があります。 "IN 1939-1940 THE BUILDING HOUSED THE CONSULATE OF JAPAN. CONSUL CHIUNE SUGIHARA, A SAVIOR OF JEWS, HELD HIS OFFICE HERE" もちろん日本政府が作ったものではありません。 杉原千畝氏の功績はこの国では広く認められ、リトアニア最高の勲章も授けられ、また首都ヴィリニュスの郊外には”スギハラ通り"があるというほどです。 前のブログにも書きましたが、僕らからは馴染みのない国であるリトアニアの人々が日本に対して「親近感」を持っているのは、やはり杉原千畝氏の存在が大きいと感じざるを得えません。 かつて読売テレビでやったドラマ「六千人の命のビザ」のサイト(←是非Click)がありました。 いま、チラッと見てテーマ音楽を聴いただけで、涙が流れてきます。 レンタルでもこのDVDがありそうですので見てください。本当に感動ものです。凄い人です。で、最後に「日本人だけが、知らなかった」と・・・*********************************************************************** アクセスランキングに参加してます。(写真気に入った~って方、クリックしてくれたら嬉しいです)