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左で今は杖を持って歩いていますが、最初ふらふらして危なかった… 今はやっと慣れて歩いていますが、足元に段差や小石などあるとふらつきます。 杖はなるべく軽く掴んで、杖だけに頼らないように気をつけていますが、左腕も少し痛みが出てきてしまった! 右は毎日のマッサージでむくみと痛みが多少良くなってきました。 接骨院の先生が、本当に時間をかけて丁寧にマッサージしてくれるので有り難いです。 (他の人の2~3倍時間をかけてもらってます…) こうなってしまった原因・・・ あれは8月。 女子医大を退院して家で療養中のことでした。 夜寝ている間にエアコンが壊れてしまったようで、睡眠薬を飲んでいる私は寝ていて気付かずそのまま部屋が40度以上になっても起きず「熱中症」になってしまいました。 翌日、母がなかなか起きてこない私を心配して部屋に来たら、部屋は暑くてサウナ状態。 時間は午後2時近かったらしい。 夏の真昼間。 部屋の温度はどんどん上昇。 (母は私が術後でゆっくり療養していると思い、気がつくのが遅かったと後日言っていました) 私に呼びかけても返事もない。 呼吸も浅く意識が全くない。 慌てて救急車を呼んだ。 救急退院が5~6人来た。 消防車も来たらしい。 物凄く暑い部屋の中で救急隊員の方々は汗を流しながら、私のことを診て受け入れ病院を探してくれた。 幸いにもすぐに受け入れてくれる病院が見つかって搬送された。 着いた病院は私が生まれた病院だった。 そして祖母が癌で亡くなった病院。 8月5日のことでした。 すぐに私は集中治療室に運ばれ診察を・・・ 体に熱が篭って体温が40度近かった。 そして肺炎も起こしていた。 自発呼吸も弱かったので、人工呼吸器を取り付けられた。 医師は両親に「重度の熱中症と酷い肺炎で入院は長くなるかも知れません」と話したそうだ。 意識は3~4日で戻ったらしい… らしい、というのは私が全く覚えてないから。 医師の呼びかけに目が開いて、瞳孔や目の動きをチェックして意識レベルを判断して、集中治療室から一般病室に移動した。 のも覚えていない… なんとなく意識が戻ったのは何日ごろだったのだろう。 両親がいて何か言っていたが、覚えていない。 人工呼吸器が取り外され、酸素マスクをつけられていたが声が出ない。 どうやら人工呼吸を外すとしばらくこういう状態が続くとのこと。 かすれた声で両親と話した。 肺炎も医師が驚くほど回復が早く、ビックリしていたらしい。 意識も後遺症もなく正常。 2週間ほどで退院出来ました。 声のかすれは個人差がありますが、1~2ヶ月ほどで元に戻るので大丈夫と説明された。 が、 病院に搬送されるまでの間、長い時間同じ体勢で寝ていたので、左手首と左足の踵と左の足の小指の下に床ずれが出来てしまいました。 特に足の状態が悪く、皮が肉が見えるほど抉れて痛みで眠れなかった。 退院後、家の近くの評判のいい病院に通院しています。 腕の血豆は綺麗に取れて、ヤケドの後のケロイド状態ですが痛みもありません。 踵は血豆が真っ黒になって皮膚の下が・・・・これって元の状態に戻るまでにかなり時間がかかる、とのことです・・・ 一番症状が酷い左足の小指の下ですが、毎日滅菌洗面器のなかにお水を入れて消毒液を投入、 沁みていたいけど細菌が見つかったので痛くても優しく洗ってます。 その後、病院で処方されたクリームを塗って厚めのガーゼで傷を保護。 包帯で巻いてネットをかぶせ、靴下を履いて終わり。 これがずっと毎日… 抉れた皮膚は2~3ヶ月で新しい皮膚が出来て綺麗になると言われてほっとした。 もう半分ぐらい治ってきたかな? *後日談 父が教えてくれました。 「お前は本当に危ない状態で、このお盆が葬式になっていたかも知れないんだぞ」と。 冗談かと思ったけど医師に言われた事実だった… 母は 「亡くなった祖母が助けてくれた」と言っている。 私は意識がなくて三途の川をみていない…夢でも祖母に会いたかったな… 以上、余談でした。 あぁ…腕がもう痛くて限界… こんなことがありました報告です。 (本当は女子医大の事も書きたいけど後日ということで) 秋の空は綺麗ですね。 空を見上げて深呼吸すると気持ちいいです! 愛犬まおも元気です! コメント書き込み出来るようにしてみました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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