テーマ:「愛」・「命」(2793)
カテゴリ:カテゴリ未分類
長々とお休みしておりましたが、ただいま帰ってまいりました。先月、お休みする前には沢山応援のコメントを頂きながら、お返事も出来ず申し訳ありませんでした。
母のことについてご報告があります。 5月26日午前9時20分、天空にかえっていきました。享年77歳。眠るように静かに、半眼半口、まったくお釈迦様の寝姿のように安らかな顔でした。 父と私と、ちょうどいらして下さっていた訪問看護の看護師さんが見守る中でした。母は誤嚥性肺炎で認知症もあるため、入院するのが難しく自宅にかかりつけのお医者さんと訪問看護の看護師さんに来ていただいていました。 自宅に電動ベット、酸素、床ずれ防止のエアーマットを借りて、ほとんど病院と変わらない状態で父が中心になって看病しました。かかりつけのドクターも毎日電話してくださって、様子も頻繁に見に来ていただいていました。看護師さんは毎日点滴をして、喀痰吸引をして、全身状況を見ていただいていました。 入院か在宅か、正直かなり選択をするのに迷いましたが、最期まで父と一緒の時間を作ることにしました。 幸いにも私も自宅で仕事をしていますし、病院に置くよりも仕事の合間に様子を見ることもできるし、窓の外の緑や、わんこの遊ぶ姿や、愛猫のあったかさを感じながら過ごさせたいと思ったからです。 実はブログのお休みをご報告したとき、先生からは「今日、明日がやまなので、会わせたい人がいたら呼んであげて」と言われていました。身体の芯がさらさら砂時計みたいにとけて落ちていくように、全身の力が抜けました。でもこうしてはいられない。母にはもう、時間がないのだから・・・。そう思い直して、可能な限りの親族に電話をして来てもらいました。 幼い頃から姉妹のように育ったふたいとこや、自分の子供のように子守をして育てた姪っ子や甥っ子も来てくれて、元気付けられたのか、一度は持ち直し、またやまがきて持ち直し・・・。「どっかつらいとこあるの?」と聞くと、「大丈夫、大丈夫」とくりかえしていました。 だけど穏やかに、母はずっと逢いたがっていた人たちのいるところに旅立っていきました。 すべてを許し、すべての苦しみから解放されたような優しい顔で。母はこんなに綺麗だったんだなあとしみじみ見とれました。 生前の母は、親族や友人やいろんな人のために尽くしてしましたが、報われないことも多い人生を過ごしていました。でも、私が思っていたよりはるかに沢山の人に見送られて逝きました。おぶったり、だっこしたりして育てた甥や姪。慕っていた兄や、可愛がっていた弟。実の兄弟以上に親交のあった人達。今住んでいるところのご近所はじめ沢山の人達。 そして何より、35年間出稼ぎで離れていた時間が多かった父と一緒にいた2年間。認知症が進んでいくなかでも父のことは慕い、頼り、甘えて過ごした時間。 手をつないで歩いたり、ドライブに出かけてソフトクリームを食べたり、庭の花を摘んだり。寝たきりになってからは食事の世話から下の世話まで、すべて父にしてもらった日々。 35年のじかんの空白を、この2年で取り戻して、まるで満足したかのように静かに突然に逝ってしまいました。 遺影で微笑む母は、父と離れてどんなに寂しくても、うちの中にどんなにお金がなくっても、不肖の娘がいろいろ失敗しても、いつも変わらず笑ってくれた顔をしています。その前に座って手を合わせると、前よりずっと素直にいろんなことを話せるような気がします。 もっと無条件にいつも味方でいてあげたらよかったとか、もっといろんなところに連れて行ってあげたかったとか、孫を抱かせてあげたかったとか、もう山のように後悔はありますが、これからは本当に、どう生きていくかという姿でしか親孝行できなくなってしまいました。空の上から、見ててよね。このあとの私の歩く道を。 仕事も再開しています。ご飯もちゃんと食べて、よく眠っています。これからまた、自分のペースでブログも書いていこうと思いますので、またよろしくお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|