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今日は母の三七日。ブログでも沢山のお悔やみと励ましのお言葉をいただき、ありがとうございました。自宅のほうにも友人が沢山のお花を持ってきてくれました。友達ってありがたいな・・・と思いました。
今、母の祭壇は「花園」になっています。しゃくやく、ユリ、カーネーション、菊、ルピナス・・・色とりどりに華やいでいます。母は花が大好きでした。その一輪、一輪の匂いをかいではにこにこしている母の姿が浮かぶようです。 6日の日にはブログにもたびたび登場する、いつものメンバーが来てくれました。お焼香をしてくれて、そのあと他愛のないおしゃべりをしました。話して、笑って、がっちがちになって澱んでいた心がほぐれた感じがしました。 「私たちったら、お焼香に伺ってこんなに笑ったりして・・・。」と言ってましたが、母はまた、私と友人の他愛のないおしゃべりを見てるのが好きでした。時には自分の失敗談を頼まれてもいないのに披露したりする、そんな母でした。 きっと母も笑ってその様子を見ていただろうと思います。 昨日は高校時代からの友人が来てくれました。奥州市という、盛岡からはけっして近くはないところに住んでいるんですが、「高校のとき、お母さんにお世話になったから」と来てくれました。 高校時代、土曜日に授業が終わるとたいてい一緒に街をぶらぶらしたり、お互いのうちに遊びに行ったりしていた友人でした。今思うと、「あの頃もう少し勉強してたら・・・」って気もしますけど、高校時代のことで覚えているのはそんな風に一緒にぶらぶらしたこととか、制服着たまま映画見に行ったこととか、喫茶店に行ったこととか・・・。 ほとんど相手はその友人でした(笑)。彼女のほうこそ私と一緒にいたおかげで、校則やぶりまくってしまっていて・・・でもちゃんと大学行って、夢に近い仕事に就いて・・・よかったです(汗)。 母の写真を見て、「お会いしてた頃と変わらない、優しいお顔のいい写真だね」と言ってくれました。○○ちゃん、来てくれたんだ・・・と、母の写真もうれしそうに見えました。 そんな感じで、周りの方々には本当にいろいろと心を尽くしていただいている中、肝心の私はというとただただ「できる範囲で、身の丈にあったことをしている」だけ。葬儀も質素、立派なお墓やお仏壇を準備できるわけでもなく・・・。 ただ母がいつも話していた、母の友人みたいになれたらなあとは思っています。そのお友達が「亡くなった両親や祖先の声が聞きたい」と思って、青森県にある恐山に行き、イタコと呼ばれる霊能者に口寄せ(亡き人の声を変わりに伝えること)してもらったときのこと。 そのイタコ曰く「毎日、毎日、花の座敷に呼ばれています」と。 「でも何のことだか、さっぱり分からない。別に庭先の花しか飾ったこともないし、ご馳走をあげて拝んでるわけでもないし。」と、お友達は言っていたそうですが、母にはすぐ分かったそうです。 そのお友達のおうちの仏壇はあまり大きなものではないけど、お友達の座るところのすぐ横にあって、母が遊びに行くといつも、母と自分と仏様の分のお茶を入れるそうです。ご飯を食べるときはご飯を、おやつを食べるときはおやつを、すぐ横にあるから「はい」って感じであげて、そして自分のを食べ終わったらおろして食べるのだそうです。 まったく構えていなくて、ほんとに横に座っている人に「はい」ってあげるような感じで。 ・・・それなら近いこと出来るかな。母の祭壇は父の部屋にあります。寝るとき以外、いつもだいたいオープンにしているので通ったときにいつでも手を合わせられます。ご飯とお水は父が上げてくれるし、珍しいものをいただいたりした時は「これ頂いたよ、食べて。」って上げられます。 仏間があるのもいいけど、手を合わせやすいところにあるのもいいかも・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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