テーマ:ひとりごと(15380)
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今日、久しぶりに最寄のショッピングモールに行った。母が天国に行ってからもうすぐ1ヶ月になるが、最近までそれに関係するいろいろなことと、牧草や牛の出産や日常業務に追われて、なかなかそっちのほうまで行けずにいた。
それと何より、「買い物したい」とか「何か美味しいもの食べたい」とか、そういう気分になれなかったのもある。元気に普通に生活しているつもりでも、やっぱりなんだか「そこまでは上向きになっていなかった」のだろう。 今日も買い物とか、美味しいものを仕入れるとかいうわけでもなかった。そこの近くの家電修理屋さんに乾燥機を修理してもらいに持っていくので、久々にちょっと覗いてみようかなと思い立ったのだ。 途中の道端にはもう、タチアオイがスーパーモデルばりの長身、スレンダーボディで姿勢よくすっくと立って、風に揺られている。農家の無人販売では、幾種類かの野菜と花々が並んでいる。盛岡ももう夏に向かっているんだなあ。 ショッピングモールの中はもうすっかり夏の装いになっていた。帯を蝶々結びにして前にはコサージュをあしらった今風の着こなしで浴衣を着たマネキンがいて、風鈴やガラスの食器や、水着なんかも沢山並べてある。 暑いけど、夏に向かっている時期は好きだ。着るものも器も、花あしらいさえもすべてが「涼」を求める工夫に満ちている。それをぶらぶら見て歩くのも、「おっ、これなら真似できそう」と思ったものをうちでやってみたりするのも楽しい。 「やっぱりたまにはこういうとこを歩くのもいいな」なんて思いながら、本屋で以前から探していた本を2冊買い、ドトールでコーヒーとチーズトーストで一休みして帰った。(この間およそ1時間、もう少しゆっくりしたいけど、牛たちのお昼もあるので・・・) 地下の駐車場に停めた車に戻ってエンジンをスタートさせ、ふうっと一息ついたとたんに急に堰をきったように涙が溢れてきた。今日目にした「夏の風景」の記憶の中の母を思い出した。 散歩したときタチアオイを見た夏の夕方や、 浴衣を着てさんさ踊りを見に行った日や、 夏だからと、器をガラスに模様替えしたっけとか、 本屋の帰りにケーキ屋さんのパーラーでチーズトーストを食べたっけとか。 すべての想い出に母がいて、そして笑っていた。 母が天国に行ってから、泣くこともなかった。誰に遠慮することもなく、たったひとりの車の中でひとしきり泣いた。 普通に生活していながら、なんだかもやもやしていたつかえがとれた気がした。たった1時間の間に触れた「夏の匂い」が、張り詰めていた何かを溶かして、そしてさらっていってくれた。両肩を押さえつけてた重石が、砕けて散らばった。 「これでまたがんばれる」・・・そんな気がした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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