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夕凪の街 桜の国 昨年の夏、1冊の漫画と出逢った。こうの史代さんという自分と同い年の方が描いた作品だ。 この作品の背景にあるのは、昭和20年8月6日に広島に投下された原爆。それから10年後の広島のある女性と、平成の現代に生きる同年代の女性とが軸になって物語は展開される。 悲惨な戦争の描写もほとんどなく、淡々と「あの日から10年後の日常」が綴られていく。あの日から「もう10年」も経ってしまった人々に、消えることのない戦争の影がまとわりつくようにして日々が流れていく。 昨日、FMのラジオ番組で自分が被爆2世であることを明かした人がいる。歌手の福山雅治さんだ。彼は長崎出身の40歳、私と同い年だ。 終戦から20年以上経ってから生まれている私たちの世代は、すでに「全く戦争を知らない世代」である。そして今、終戦から64年の月日が流れ、実際に戦争を体験した人も減っていく一方だ。 5年ほど前に亡くなった伯父は、若い頃実際に戦地に赴いたことがあった。青森の弘前出身の伯父は「国宝師団」なんて歯の浮くようなことを言われて、南方の激戦地に送られた。そこで隣村から同じ隊に入隊した人とともに戦っていたが、その人が敵弾に倒れて瀕死の重傷を負ってしまった。 もともと若い頃から畑仕事で鍛えられていた伯父は、その人を背負って歩いた。「もういいからおろしてくれ。」「大丈夫。もう少し行けば安全なところにおろせるから。」そんなやりとりが何回か続いたあと、ついに伯父は隊列から遅れはじめた。 まだ息のある彼を残して、伯父は隊に戻らざるを得なくなった。自分の身を裂かれるような思いだったという。そして何度かの激戦の後、戦争は終わった。 戦地から戻った伯父は真っ先に自分が残してきた人の形見を届けに行った。それから伯父が亡くなるまで、お盆になると必ず線香を手向けに行っていたという。 その話を聞いたのは去年。父がうちにいるようになってはじめてきいた。私の中の数年に1回くらいしか会わない伯父はちょっとこわいイメージだった。私を見ると伯父は「○○、ここさ座れ」という。「なは、一人っ子だはんで、しゃっとさねばまねど。」(お前は一人っ子なんだから(頼る兄弟もいない)、しっかりしなきゃだめだぞ)厳しい目つきでそう言うと、そのあとふっと顔がゆるむ。 そんな伯父の人生の根底にはずっと、その時の苦い記憶が横たわっていたのだろう。それこそが普段の伯父の近寄りがたいような凄みを生み出していたのかもしれない。 自分のルーツを見つめなおすこと。 感じ取ること。そして、想像力をもつこと。 戦争をまったく知らない世代の私たちにも、伝えられる「思い」はある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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