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最近なんだかバタバタとしている。どかーんと大きな仕事が入っているわけではないけど、なんやかやと忙しい。
そしていろんなことを考えすぎたりしているせいか、偏頭痛も頻発したりして、余計に仕事がはかどらない。 体調が思わしくなかったり、忙しいとつい心に余裕がなくなってしまう。どうでもいいようなことにイライラしたり、自分の周り半径1メートルくらいのところがブルーやグレーにかすんで見えたりする。 そんな毎日のなかで、ある夜ふとテレビを見ていると、「幸」という字のもともとの形の話をしていた。 「幸」という字は、人が手かせ足かせをされている形からきているという。 なぜか。それは幸せの形は人それぞれ違うので、一番不幸な形をその字にあてているのだという。ダブルの驚きだった。 えーーー。いやでも、それを当てなくともよかったんじゃないかあ・・・とも思うけど、もう何十年と見慣れてきているだけに、他の文字も考えにくい。 でも確かに、幸せは人それぞれだ。お金がすべてな人もいれば、愛こそすべてな人もいる。 仕事をバリバリやるのが幸せな人もいれば、遊びをせんとや生まれけん・・・って人もいる。 そして誰しも、実は何らかの「手かせ足かせ」をつけた状態のなかで、自分の思い描く「幸」を探しているのかもしれない。 かくいう私も毎日毎日家にいて、牛たちの世話をしながら一日まるまる休みとか、旅行とかもままならない日々に、正直ぐったりすることもしばしばだ。でもその生活の中で、ささやかな楽しいこと、興味深いことに出逢うと、心が充たされあたたかくなる。 あきらめちゃいけないんだなと、思う。たとえば常にいろんなことに感じること。たとえば年を重ねても美しくいること。ハードルをあげすぎると挫折しちゃうかもしれないけど、自分のできることから、ちっさなことから自分の「幸」の形に近づくように。 不肖この私にも、ちっさな目標ができた。「きれいな笑いじわのできる、時間を重ねていこう」ということ。 年を重ねてもしわひとつなく、つるんっとしている美人さんもそれはそれで素敵だし、日々の努力がしのばれる。 でも私が「かわいいおばあちゃんだなあ」なんて感じるのは、その苦労も人生も、すべてを笑顔でかわしてきたような笑いじわのある人。そんな生き方に憧れる。 一人で牛舎の仕事をしているとき、これからのことをあれこれ考えたりしているとき、実は「ああ今日は、まったく顔の筋肉を使わなかった気がする」なんて日がある。 今日の自分の顔はお能のお面か、モアイ像くらい固まっていた気がする・・・なんて日が。 そんな顔のまんま時間が過ぎていったら、それは悲しい。 それに気がついたのは、ある人の「笑いじわ」に出逢ってからだ。その人は特別顔のつくりが整っているというわけでもないし、インパクトがあるわけでもない。(って、ちょっと失礼なこと言ってないか) だけど笑うと、とても綺麗な笑いじわができる。見ていると、思わず私も笑ってしまうようななんともいえない笑顔なのだ。 つられて笑っている自分に気付いたのはつい最近のことだ。こんな笑顔に出逢ったのは何年ぶりだろう。友人たちと雑談、爆笑・・・みたいなことはあるにせよ。 その人を私は今、ひそかに「師匠」と決め、修行中である。 美しい笑いじわと、会った人の頬までゆるませてしまうその笑顔。ぜひ盗みたい。 そのためにはまず、毎日自分を充実させること。明日の自分をあきらめないこと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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