テーマ:「愛」・「命」(2791)
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最近すっかりハマってしまっている番組がある。日曜日の夜に放送している「JIN~仁」である。 物語は現代に生きる若き医師、南方 仁が、幕末の日本にタイムスリップして、器具や薬の乏しい中でいろいろな知恵と工夫によって治療にあたっていくストーリー。現代に残してきた植物状態の恋人への想いや、進歩を遂げた医学のなかで漫然と医師として生きてきた自分への問いかけ、そのなかで手探りながら、「今の自分に出来ること」を考え、行動していく。 その中で先週、今週は独りテレビの前で泣いてしまった。あとからあとから、止めどなく涙が流れた。 現代に残してきた恋人に瓜二つの、吉原遊郭の花魁、野風と仁が出逢い、先輩花魁である夕霧の梅毒の治療を懇願される・・・というのがこの二週の話の主軸。 「苦界に身を沈める」と言われた女性たちの、つらい生い立ちとその仕事にさらに追い討ちをかけるようにその身を蝕む梅毒。現代ではほとんど見られないその病に、どれだけ沢山の女性が苦しめられ、ボロ布のようになって死んでいったのだろうか。 この物語のなかでは、実際にはまだ世に出ていないペニシリンを仁が中心となって西洋医学所で作り、夕霧に注射することで、容態はいくらか回復し、顔中に出ていた吹き出物も膿も軽減して、花魁時代の美しい化粧を施してもらって天国に旅立っていった。 愛する人と添うことも、自分の身体をいたわることも許されなかった女性たち。そんな時代の彼女たちからしたら、自分はなんて幸せな時代に生きているのだろう。 それなのに、自分は今までちゃんと「女性に生まれたこと」に 向き合ってきたんだろうか。 人はその生まれた性別や環境が、意味を持っているのだという。ちゃんとその人の修行になって、その果てに何かを得るようになっているのだと。 ならば私が女性として生を受けたことも、意味があったに違いない。 だけど今までの私は、それを考えもしなかったし、女性として生まれた自分を大事に生きてきたとも言えない気がする。 最近までの私は、今度生まれ変わったら男に生まれたいとずっと思っていた。女になんかもう二度と生まれたくないと思っていた。 女に生まれてよかったと実感することがなかった。子供もいないし、それすらなんだかうやむやな時間の流れのなかで、あきらめる方向に動いていた。 でもそれは何とでもなったはず。こんなに選択肢の沢山ある、自由な現代に生きていて、自分の生きたい道さえしっかり見て歩いていれば、結果はどうあれ、後悔のない女性としての人生を歩けたはず。 遅まきながらそれに気付いてからは、今日ここからの人生は女性に生まれた自分を大事に慈しんで生きようと思う。 背負うものがあるにせよ、寄り道を強いられるにせよ、私の人生は、やっぱり私のものだから。 身も心もちゃんとメンテナンスして、自分の心が指し示す方向へ舵をとって。 「泣いても一生、笑っても一生、ならば今生泣くまいぞ」 病の床に伏した夕霧が野風にはなむけとして贈った言葉だ。 すべては自分の心ひとつ。後悔のない道へ自分を連れていけるのは、自分だけだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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