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本日、牧場主は午後からお出かけである。
彼の同い年の友人の、娘さんの結婚式に招待されたのだ。 彼女がまだ小学生の頃、当牧場にも遊びにきたことがある。 折しも乾牧草の収穫時期。連れてきた弟は、畑のあちこちでせわしなく動き回る「ミニカーではないはたらくじどうしゃ」に夢中だ。その姿を追いかけて走る弟を必死に抱きかかえていた姿が、今も目に浮かぶ。 それがもはや、花嫁である。 レストランでのお式、披露宴。駐車スペースが限られるため、私が運転手を買ってでた。 風は冷たいが、日差しは温い。 「白いネクタイなんて、何年ぶりだ?」と、牧場主。 親や親戚、近隣の人らを見送るのに、礼服には年に10回ほども袖を通してはいる。 が、それは黒ネクタイでの参列だ。 結婚式はどうやら彼の甥っ子以来のようで、十数年もたっている。 親を送るのと同時に、友人の子らが家庭をもつような年になってきたのだと、車内で語り合った。 会場につくと駐車場はすでにいっぱいで、礼装の人々がつぎつぎと車から降りてきていた。 牧場主を降ろしたあと、ワーキング・ブーツ(平たく言うと、ゴム長)やら、本やら、のんびり買い物に回った。 と、ケイタイにメールが入った。友人のAちゃんからである。 彼女と、その娘さんのMちゃんと、ハーブの効能の勉強に行くことにしていて、その日程の調整をしていたのだ。 私やAちゃんは、体調の曲がり角をふたつくらい通ってきている。疲れもとれにくい年齢にもなってきた。 Mちゃんはまだまだこれからのひと。早いうちからちゃんといたわっていれば、私らくらいになったときも、少しは楽なのではなかと思うのだ。 天然由来のもので、長くじっくりと体調をいい方向で維持できるようにしたいと思っての企画である。 ハーブの先生は、以前エッセイサークルでご一緒していた方。 気さくでハーブ以外にも、いろんなことに通じてらっしゃるので、楽しみである。 本屋をでて、コンビニの駐車場に入ったときに、またメールが入った。 友人のKちゃんである。彼女は、生まれ故郷の沿岸部に住んでいる。 今日の新聞に彼女の子らと旦那さんが写っているという。さっそく店内に入り、新聞とカフェラテを買った。 折しも昨日は3.11。県内各地で、鎮魂と復興にむけての行事が行われた。新聞には、その模様が写真とともに多数報じられていた。 目を閉じ、じっと祈るひと。遠くを見つめるひと。たくさんのひとの、さまざまな表情が切り取られたなかに、その一枚はあった。 夕闇に沈んだ広場に無数のグラスが並べられ、オレンジ色の暖かな炎が灯っている。 そのなかに小さな女の子が座っていて、その光を指さしながら、隣にいる男性に笑顔で話しかけている。 目元や笑った感じ、 「〇〇に見せようと思って、持ってきたんだがあ」と、高校の教室で笑いかけてくれたKちゃんの面差しに重なる。 そっくりだなあ 思わずほおが緩んだ。 私だけではないだろう。 見たひとのきつく締めつけられた心をも、ふっと緩ませてくれるような、まっすぐな笑顔である。 男性の前には、女の子よりもさらに小さな男の子がしゃがんで、じっと光の揺らぎをみている。 故郷で、小さな子供をふたり育てながら毎日を生きている彼女を、思った。 いろんな速度で、その人だけの時間軸によって、それぞれが生きている。 それを奪ったり、傷めつけたりする権利は、誰にもない。 たとえばそれが天災であっても、 知恵を使って、視点を変えて、できうる対処をするのは、無理ではない。 夕方、また会場へと向かった。あたりはもう、紫色に暮れかかってきている。 牧場主の話によると、新婦は7月、ママになるという。 ささやかでも、私にできることはきっとある。 私でなければできないことも、ある。 未来は、今日の小さなひとかけらが集まってできるのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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